愛しい人
『なあ茉莉花、どうしてあんな雨の中人いで歩いてたりしたんだよ』
茉莉花に純正は話しかけた。
薬で眠らせているので聞こえているのかはわからない。けれど、聞かずにはいられなかった。どうして茉莉花は事故になんてあってしまったのだろう。
昼近くなってようやく電話をかけてきた晴紀をICUに呼び出した。
茉莉花の姿を見てうろたえはしたけれど、純正が考えていたほど取り乱すようなことはなかった。それどころか晴紀は純正をにらみつけるとこんなことを言い出した。
『そもそもな、こいつが事故にあったのはお前のせいなんだからな』
『どういうことだよ』
意味も分からずに聞き返す。
すると晴紀は純正の胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。
『お、おい。いったい、なんだっていうんだ』
『純正、お前おととい俺が出張で不在なのをいいことに、茉莉花と寝ただろ? せつかく俺に気持ちが傾いてきたっていうのに邪魔するのもいい加減にしろよ』
身に覚えのないことだった。どうしたらそんな話が出来上がるのか。純正は真っ向から否定した。
『ちょっと待て! どうして俺が茉莉花と? そんなわけないだろ。おとといの夜は病棟の飲み会で茉莉花と一緒にタクシーには乗ったけれど、病院から呼び出されて途中で降りた』
『そんな話信じられるか!』
『嘘だと思うなら、携帯の着信履歴と電子カルテの記載時間を見てもらえばわかる。その日は結局病院に泊まることになったからな』
飲み会が終わったのが二十一時。病院からの電話がその十五分後。さらにその二十分後には通用口のセキュリティーを解除して院内に入っている。茉莉花とホテルに行く時間なんてあるわけがない。
『じゃあ、お前と茉莉花がホテルに行ったのをみたっていうのは? だから俺、あいつに出ていけって言ったんだぞ』
晴紀は動揺していた。ようやく自分の勘違いが招いた事の重大さに気が付いたのだろう。
『そんなの、知らねえよ。ただのデマだろ』
一緒にタクシーに乗ったのを見てありもしない噂を広められることなんてよくあることだ。
『当の茉莉花だって否定したろ? それなのに信じてやらなかったのかよ。あいつがどんな気持ちで家を出たのかわかるか?』
純正は晴紀を責めた。同時に自責の念に駆られる。
あの日、飲み会の日。晴紀が家に不在だからと羽目を外して飲み過ぎてしまった茉莉花を自分が送るといった。
急な呼び出しに備えて、アルコールは口にしなかった。だから彼女をちゃんと送ってやらなければと思った。
けれど、その行動が誤解を招き、結果的に茉莉花を事故に合わせてしまった。
自分は悪くないと、無関係だと思えたらどれほど楽だろう。晴紀のように、自由に器用に生きることができたら、どれほど幸せだろうか。
純正は仕事の合間を縫って茉莉花の治療を続けた。しかし、彼女の意識は戻ることはなかった。
その日から純正の日常は色を失った。
医者としてたくさんの命を救っても、人として大切な人を守れない自分に生きる意味などあるのだろうか――と自問自答する日々だった。