どうしてほしいの、この僕に
 これも契約社員という立場で、残業の必要がない業務をしているおかげだ。もちろんそれに見合った給料しかもらっていないから、生活はかなり苦しい。
 借りているマンションもかなり古くてボロボロだ。入居して間もない夜中、天井から落ちてきた水滴が顔に当たり飛び起きたことがある。雨漏りのせいで布団にカビが生えて泣きたくなった。
 こんなふうに挙げていけばキリがないほど不満はある。でも引っ越すにはそれなりにお金がかかるから、貯金のない私は仕方なくこのマンションに住みついている。
 スーパーで買った食材を冷蔵庫にしまい、ひとり分の夕飯を作り始めた。自炊するのも生活費を少しでも切り詰めるためなんだけど、おかげで料理の腕前も上がったので、この生活も決して悪いことばかりではない。
 それでも、まだ両親が健在だったことを思い出すと、心が鉛になったかのように気持ちが沈んでしまう。
 今頃故郷は雪がちらつき、人々は白い息を吐きながら急ぎ足で歩く季節だ。
 庭の木々が雪をまとい、キラキラと宝石のように輝いていた寒い朝。
 父は朝食の前に新聞を広げ、母が差し出したホットミルクを受け取る。姉は洗面台を占領していて、寝ぐせのついた私の髪をぶつぶつ言いながらも梳(と)かしてくれた。
 パンとベーコンとたまごやき、それからサラダとフルーツの並ぶ食卓。
 まだ姉が家にいたのだから、小学生の頃だ。あのありふれた毎朝の風景が、今はなによりも恋しい。
 私から父母と故郷を奪ったのは火だ。
 父は地元で運送会社を経営していて、母も経理関係を手伝っていた。
 ある日その社屋で火災が発生し、隣接する倉庫へ燃え移った。知らせを受けて駆けつけた私は、燃え盛る火の前で声の限り父と母を呼んだが、両親は二度と私の呼びかけに答えてはくれない姿で見つかった。葬儀ではふたりの遺体のそばで泣き明かし、一生分の涙をそこで流してしまったような気がする。
 その後、運送会社は父の弟である私の叔父が継ぎ、私は通っていた女子校の寮に入った。
 叔父は私の面倒を見るという名目で私たちが住んでいた家に住みつき、私が両親から受け取るはずだった遺産を自らの管理下においた。つまり私の学費と生活費以外を巻き上げたのだ。頼れるただひとりの姉がショーを終えて帰国したのは、叔父がぬかりなく私たち家族のすべてを自分のものとした後だった。
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