どうしてほしいの、この僕に
 彼が私のために自らテレビ局やスポンサーへ口利きしてくれただけでなく、あんな素敵なプレゼントを準備していてくれたのだ。それで満足できないというのか、私は。どれだけ欲深い女なのか。
 ——はぁ……。
 だがしかし。
 今日でこの職場を辞める人間が給湯室で呆けているのはまずいだろう、と我に返った私は自分のデスクへと戻った。
 午前は通常業務をこなし、午後はこっそり退職準備を進めた。昼礼で私の退職が発表されたので、こそこそする必要はなかったのだけど、この場を去る準備を堂々とするわけにもいかない。
 退勤時間になったのを確認すると、私は個人的にお世話になった方々へ挨拶して回った。
 最後に自分のデスクに戻り、忘れ物がないことを確認する。
「お世話になりました」
 部署のメンバーに向かって一礼し、帰ろうとしたそのとき、突然腕をつかまれた。思わず肩がビクッと震える。
「そんなに警戒しないでください」
 振り返ると友広くんが私を見下ろしていた。
「あの、手を……」
「みんなから、です」
 友広くんは私の腕を開かせ、そこへ花束を押しつけた。
「え、えっ……あ、ありがとうございます!」
 途端に拍手がわきあがる。それは隣の部署へも伝播し「たまには顔見せにおいで」などの温かい言葉まで聞こえてきた。
「これでお別れですね」
 小声で友広くんがそう言った。
 そうか。もう二度と彼に会うことはないかもしれない。
「お世話になりました」
 私が軽く頭を下げると、彼は愛想よく微笑んだ。
「お体に気をつけて、お元気で」
「友広くんもお元気で」
 作り物みたいな笑顔の友広くんに思い切って背を向け、部署を後にする。
 そういえばあの事故の日の友広くんのアリバイを調べていない、ということに気がついたが、今さら引き返すことはできない。
 ——ま、いいか。
 いい探偵にはなれそうもないが、私が目指すのは女優なのだ。
 それに友広くんが実行犯だとしても、動機が見当たらない。やっぱり事件には無関係なんじゃないか。
 花束を抱えて会社を出たら見覚えのある黒い車が目に入った。足が勝手に走り出す。窓から車内を覗き込むと案の定、不機嫌な顔をした優輝が後部座席を倒し、だらしなく寝そべっていた。

 こんなふうに突然契約社員を辞めたのは、とにかく時間がないからだ。
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