どうしてほしいの、この僕に
 そう思いながら小さく頷くと、優輝は私の顔を覗き込み「これはいらない」と慎重に眼鏡を外した。
 再度向き合った彼の表情はいくぶんこわばっていて、緊張しているようにも見える。
 ドキッと胸が鳴った。
「ずっと言いたくて、言えなかったことがあるんだけど、今やっと言える」
「……うん?」
「俺と結婚しよう」
 ——えっ? えええええ!?
 驚いて目を見開いた途端、彼が急接近して唇が重ねられる。
「ちょ、ちょっ、まっ……!」
 タイムを要求したが、それも中途で彼の唇に遮られ、飲み込まれてしまう。
 おまけに彼の舌は性急に私の唇をこじ開けたかと思うと、急にじれったいほどゆっくり私を侵略する。
「もうこれ以上は待てない」
「うん。……待たせてごめんなさい」
 ——待っていてくれて、ありがとう。
 差し伸べてくれる手に縋っていた私だったけど、ようやく追いつけた気がした。
 今なら彼の隣に並び、手を繋いで歩いて行けるんじゃないか、と思う。
 私たちはこれまでの想いをぶつけるように、激しくも甘い濃密な時間を過ごした。

 姉が無事出産し、私はマンションの自分の部屋にまっすぐ帰るようになった。
 寂しくないわけではないが、1ヶ月もすれば以前よりもっとにぎやかになる。そのときを想像すると自然に頬が緩んだ。
 帰宅して着替えでもしようか、と思ったところで部屋のチャイムが鳴る。
 時計を見るとすでに夜の9時を過ぎていた。
 おそるおそるモニターを覗いてみると、そこには帽子を目深に被った黒縁眼鏡の男性が映っている。長身で端正な顔つき——まさか!?
「はい。どちらさまでしょうか」
「ただいま」
 カメラ目線でニヤリと笑みを浮かべているのは紛れもなく優輝だ。
 しばらくしたら帰国すると聞いていたが、私が旅行から戻って2週間も経っていない。いくらなんでも早すぎないか?
「荷物は明日来る」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「もう待たない」
「いや、でもね、私にも予定があるし、準備も……」
 勝手に各部屋を物色している優輝の背中に文句を言ってみるが、彼はまったく聞いていないようだった。
 寝室を覗いた優輝が「おっ」と驚いたような声を上げる。
「やる気はあるんだな?」
「ま、まぁね」
 私は彼が手にしているものから目をそらす。
 それはタグが付いたままのランニングウェア一式だった。
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