この想いが届くまで

03 思いがけない再会1

 未央が勤める会社は女性なら誰しもが手にしたことのあるコスメブランドを数々世に送り出している業界最大手の化粧品メーカーだ。入社してから四年間、都心にある地上二十階建ての本社に勤務している。
 この日は朝から細かな雑用に追われ、何度も自席と別フロアを行き来していた。
 年が明け出社してから一か月が経過。密かに用意した辞表をいつ上司に提出しようかタイミングを見計らう日々だった。田舎の両親も年頃の娘を案じて連絡を取れば結婚の二文字、見合い話もある。未央は二十六歳。まだ二十代でお見合いだの結婚だなんて時代錯誤も甚だしい。ずっとそう思ってきたのに、両親の言う通り素直に見合いに応じようと思えたのはつい最近のことだった。酷く会社に居心地の悪さを感じるようになった最近のこと。
 両手いっぱいにダンボール箱を抱えながら階段を上っている時だった。
「手伝うよ」
 未央の持つダンボールを軽々と奪い笑顔を見せたのは同期の遠藤だった。手伝うどころか仕事のすべてを奪われ、空いた両手の行き場を失う。
「悪いよ。全部持ってもらちゃって」
「いいよ。俺も上行くところだし。これどこ運ぶの?」
「……ありがと」
 未央は素直に礼を言うと行き先を指示する。嫌な顔一つせず頷く遠藤を見て未央の胸がちくっと痛む。
 年が明けて一か月。遠藤と理沙が付き合った日から数えてもほぼ変わらない。一か月も経てば二人の交際は未央の周りでは噂になって上司以外の同年代の同僚の耳にはほぼ届いていた。
 目的の部屋につき荷物をテーブルの上へと下ろすと遠藤はすぐには立ち去らず、二人きりになった部屋で少し落ち着かない様子で口を開いた。
「……未央。たぶん、もう聞いていると思うんだけど。ていうか、知ってて当たり前か」
「あぁ、理沙とのこと?」
「うん。……ごめん。なかなか直接言えなくて。なんかこっぱずかしくて」
「あはは、別にいいよ」
 未央は言いながら遠藤に背を向けるとダンボールの中に入ったものを取出し仕分けていく。
「悪いな、理沙のこと取っちゃって」
 その言葉に、一瞬作業の手が止まり唇を噛みしめた。
「ちょっと前まで未央と理沙、二人よく一緒にいたのに最近理沙は俺とばっかりいるから……そんなだからすぐに周りにもばれちゃったんだけどさ、はは……。気、遣ってくれてるんだってな。理沙が言ってた」
 自分が二人に対して気を遣っている?
 身に覚えがないそんな疑問も一瞬。自分との確執を悟られないようにする理沙の作り話に腹が立った。
「いつから好きだったのよ」
「……え?」
「ほら、だって全然気づかなかったんだもん。陽一の気持ち。水臭いな。理沙と同じくらい陽一とは仲良くしてたつもりだったんだけど。相談くらいしてくれたって……」
 背を向けたまま口調だけは明るく言ったけど、未央の表情はまっすぐに前を見据えにこりとも笑っていなかった。
「あれ? 詳しいことは、聞いてないんだ」
「え?」
「告ったのは俺じゃないよ。突然理沙に好きって言われて……びっくりしてさ。すぐには答え出せなくてしばらく考えたんだけど。ていうか、おまえたち二人も俺の知らないところで理沙の相談乗って俺のこと話してたんだろ? やな感じ~」
「……ははっ」
 全身の血の気が引いた。なんとか、笑うふりは出来た。
 陽一が立ち去って一人になると、未央の肩が小刻みに震え、ダンボールの角を握りしめた。
「……なによ、それ」
 彼が好きで、相談に乗ってもらっていたのは自分の方だ。
 何が仕方がない、だ。彼が理沙を選んだわけじゃなかった。それなのに……。
 理沙に一方的に告げられた言葉の数々を思い出すと怒りがこみあげてきて、限界まで達すると涙になって溢れだした。
 今ならすべてを打ち明けて遠藤を取り戻すことができるかもしれない。しかしもう、心身ともに疲れ切っている今の未央にそんな気力はなかった。今日こそ辞表を出そう。もうここには居たくない。未央はしばらくの間人知れず声を殺して泣いた。
 この日、ついに未央は辞表を提出した。
 突然のことに上司や同僚、特に遠藤はひどく驚き理由を問いただした。田舎に帰るなどと説明したがはっきりした理由を答えられないまま不信感だけを残して三月まで働き退職した。

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