ラティアの月光宝花
「分かってる。分かってるわ、でも……!」

セシーリアは、身体がズタズタに裂けてしまったかのような痛みに顔を歪めた。

攻めてきたとばかり思っていたイシード帝国のカリムは、軍を率いずにやって来た上、オリビエの遺体を運んできたのだ。

……本当はここでカリムを殺してやりたい。

けれど丸腰で話し合いに来た帝国の皇帝を問答無用で殺したと知れれば、たちまち友好国に警戒され信頼を失うかもしれない。

今の時代はほんの僅かな過ちが命取りになるのだ。

「クッ!」

悔しさと諦めを抱き、弓を下ろしたセシーリアの口から漏れたうめき声に、マルケルスの顔が歪んだ。

それと同時に自分の予想を超えたカリムの行動に、苛立ちとは別の何とも言えない感情を覚える。

「持ってて!それから援護は要らない。ライゼンにもそう伝えて」

「セシーリア!」

「ハッ!」

矢筒と弓をマルケルスに押し付けると、セシーリアは愛馬シーラにまたがり駆けた。

「セシーリア!」

「大丈夫よ、シーグル!ひとこと言ってやるだけ!」

アイツ……ディーアの弓矢を持ってないじゃないか!

手綱をさばきながらすぐ横を走り抜けていくセシーリアの背中を見て、シーグルが血相を変えて馬の腹を蹴る。

「おい、セシーリア」

「シーグル。私は大丈夫だから。後ろで見ていて」

「……!」

肩越しに振り向いたセシーリアが、僅かに微笑んだ。

それを見たシーグルがゆっくりと馬を止める。

セシーリアの向こうに見えるカリム一行は、迫るセシーリアを見ても微動だにしていない。

やがてセシーリアが手綱を強く引き、愛馬を止めた。

原野に響くシーラの嘶きと強風が、辺りを舐めるように広がる。

「皇帝カリムよ!」

手綱をさばきながらセシーリアがカリムの名を呼んだ。

「……」

声こそ発しないが、カリムはまるで返事をするように身体の真正面をセシーリアに向けた。
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