初恋
第三十四話 手紙
「先輩~、ちょっと聞いて下さいよ~」
 いつものたるんだ口調で純二は話しかけて来る。修吾が所帯を持った後も純二は相変わらずフラフラしており、アフターファイブとなると絡んで来ていた。
「なんだ、また彼女と痴話喧嘩でもしたか?」
「痴話喧嘩どころの話じゃないっすよ。最近ずっとギスギスしてたんすけど、とうとう別れましたよ」
「そりゃ穏やかじゃないな」
「前々から怪しいって思ってたんすけど、俺以外に付き合ってるヤツがいたみたいで、かなりへこみ中っす」
「で、憂さ晴らしに今夜も飲みに行こうってか?」
 純二の内心を察して修吾は先回りする。
「いつもながらバレバレっすね」
「分かった、今夜は付き合おう。そういう日もあるだろう」
「話が分かる先輩を持って不肖小林幸せもんっす! って、奥さんはいいんですか?」
「結婚してからもう半年だぞ? 直帰もそろそろ緩くなってしかるべきだろ」
「じゃあ、今夜はぱーっと行きましょ! ぱーっと!」
「おまえはいつもぱーっとだろ、ったく……」
 批難の眼差しで純二を見ていると、修吾の携帯電話の着信が鳴る。
「嫁からだ」
「飲みに行く気配を感じ取られたんじゃないっすか?」
「かもな」
 エスパー沙織を警戒しつつ修吾は通話ボタンを押す。
「もしもし、どうした?」
「お母さんが倒れた!」
 開口一番に放たれたその言葉で頭がシャキッとする。
「えっ!?」
「今、駅前の大学病院前に向かってるの、修吾さんも早く来て!」
「分かった。すぐ行く!」
 修吾の慌ただしい様子と会話で、普段は鈍感な純二も察する。
「お流れっぽい会話っすね」
「お義母さんが倒れたらしい。悪いな、今度埋め合わせする」
「いえ、お気をつけて」
 普段と違いちょっと真面目な顔つきの純二に見送られ、修吾は会社を後にした――――


――三十分後、病室に入るとベッドに横たわる深雪と、傍に付き添う沙織の姿が目に入る。深雪は眠っているようだ。
「容体は?」
「薬で眠ってる。原因はわからないけど、今お父さんがお医者さんから聞いてる」
「そうか……」
 心配そうに深雪を見つめていると、真司が病室に返ってくる。
「ご無沙汰しています」
「修吾君も来てくれたか、ありがとう」
「いえ。それよりお義母さんはどんな病状ですか?」 
 修吾の問いに真司は即答できない。その顔色を見て沙織は真司に詰め寄る。
「なんで黙ってるのよ。まさかすごい重い病気ってわけじゃないよね?」
 沙織の問いに全く微動だにしない様子から、肯定としか取りようがない。
「嘘でしょ? ねぇ、お父さん? 何とか言って」
「子宮筋腫と脳腫瘍の併発。ずっと身体に異変はあったはずなんだ。今の段階で右目はほとんど見えてないそうだ。でも、お母さんはずっと病気のことをお父さんたちに隠していた。どちらもかなり進行してしまっているらしい……」
 真司の説明に修吾は血の気が引くのを感じる。
「嘘、そんな……」
「一週間後にはすぐ手術をすることになっている」
 真司から語られる言葉に、修吾も沙織も言葉を失う。
「で、成功する確率はいくつなの?」
 突然背後から深雪の声がし、全員が振り向く。
「お母さん!」
「聞こえてたわ。それに自分自身のことだもの、ある程度わかるわ」
 深雪はベッドから起き上がると笑顔を見せる。
「手術の成功率はいくつ? お医者様から聞いてるんでしょ?」
 穏やかな表情で聞く深雪に答えざるを得ない。
「二割くらいだそうだ」
「なによ。なかなかの高確率じゃない。余裕ね、余裕」
 深雪はわざとおどけて見せる。
「何が余裕よ! 何で病気のこと隠してたの!」
 沙織は目に涙を溜めながら深雪を睨む。
「ごめんなさい。でも、心配かけさせたくなかったの……」
「いつから黙ってたの?」
「あなた達が結婚する前くらい……」
「バカ、何でもっと早く……」
 沙織は目頭を押さえまま身体を震わす。
「ごめんね沙織。でもお母さんの気持ちも分かって。結婚したてのあなた達に、どうして言えましょうか。私はあなた達が幸せならそれでいいの。子供の幸せの為ならどんな犠牲も払う。それが親というものなの」
 深雪の言葉に沙織は声を押し殺して泣く。
(深雪さんが、もしかしたら死んでしまう? そんな馬鹿な……)
 衝撃的な現実を突き付けられ、修吾も立ち尽くしたまま動けない。結局、何も言えないまま病室を後にし、沙織は入院に掛かる身の回りの品を準備すべく実家に向かった――――


――一週間後、深雪の病状を知ってから後、修吾は全く仕事が手につかなくなっている。今まで何があっても完璧に仕事をこなしてきた修吾を知っているだけに、上司である雄三もかなり気にかけていた。
 今日の手術についても理解を示してもらい、休暇を許されている。手術の時間が午前十一時からと聞いていたが、修吾は怖くて病院に行けないでいた。
(どんな言葉を掛ければいいのか分からないし、どんな顔で見送ればいいのかも分からない……)
 リビングでうつむいていると、隣に沙織が黙って座る。その手には小さな封筒みたいな物が握られている。
「すまん。お義母さんのことがショックで考え込んでた。そろそろ病院に行かないとな」
「待って」
 車の鍵を握ろうとする修吾を沙織は制止する。
「どうした?」
「行く前に、コレ、読んで……」
 そういうと持っていた封筒を差し出す。その表情はどこか暗く、内容がきっと良いものでない事を容易に想像させる。修吾は戸惑いながらも言われるまま封筒の中にある手紙を開いた。

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