初恋
第三十八話 気持ち

 二人の関係にまつわる真相へと近づくセリフに修吾は息を呑む。
「そして沙織との交際を知った後、実家の母親から君の話を聞いて知ったそうだ」
(これは違う。手紙では二十年以上も前に知ったと書いていたはずだ。なぜ深雪さんは嘘を?)
「君は小さ過ぎて忘れているかもしれんが、妻におもりをして貰っていた時期もあるらしい。まあ三十年も昔のことだから君も覚えていなかったんだろうが、とにかく不思議な縁だ。だからかな、伯父にあたり弟みたいな君と沙織を一緒にさせたくなかったみたいだ。もっとも、今では大賛成で君と沙織を心から祝福している。むろん私もな」
 微笑む真司に修吾の胸が疼く。
(これも嘘だ。深雪さんはきっと俺が他の女性と結婚するという事実を受け入れたくなかったんだ。しかも、相手が自分の娘だったということが結婚反対に拍車をかけた。許したのは沙織の幸せを優先させたという考え方もできるが、自分自身への戒めの意味も多分にあるだろう。俺を近くに感じることで、より自分の心を傷つけようとして……)
 真司の優しい言葉と深雪の深い気持ちに、修吾の心は引き裂かれんばかりに痛む。
「こんな話を聞いて修吾君も複雑だろうが、息子として、伯父として、妻を励ましてほしい。頼む……」
「お義父さん……」
 頭を下げるその姿に修吾は胸に込み上げてくるものを感じる。ふと廊下の先を見ると、手術用ストレッチャーを牽引しながらこちらに向かってくるナースが目に入る。
「来たようだね。二人に知らせよう」
 真司に続く形で修吾も部屋に入る。予想はできていたが、深雪の手を握ったまま沙織は布団に顔を埋めて泣いている。
「来たのね?」
 深雪の顔に涙はないが、さっきまでの明るい笑顔も消え、真剣な眼差しで真司を見ている。
「じゃあ、お母さん行ってくるから、後はお願いね。沙織」
「いや、行っちゃいや……」
 沙織は涙をボロボロ流しながら深雪の手を強く握っている。
「沙織、放して。お母さん必ず帰ってくるから、大丈夫だから」
 深雪の優しい言葉に沙織は頷く。
「アナタも、信じて待って」
「ああ」
 真司は敢えて微笑んでみせるが表情から辛さは拭えない。最後に深雪は修吾を見つめる。修吾も無言で深雪を見つめる。
「沙織を、宜しくね。修吾さん」
 淡々とした口調で言う深雪の目は、言葉とは裏腹に優しさで満ち溢れている。
「はい」
 修吾は深雪の言葉に対して素直に答えることしかできない。ストレッチャーが入ってくると沙織もしぶしぶベッドを離れる。ベッドからストレッチャーに移されると、深雪はナースに少し待って貰うように頼む。
「見送りはここでいいから、後は成功を祈っといて」
 沙織は修吾に抱き着いたままずっと泣いている。
「深雪、病気なんかに負けるなよ。待ってるからな」
「ありがとう、アナタ」
「沙織、お母さんに何か言うことないか?」
 沙織は泣きながら頷く。
「修吾君」
 真司の言葉に深雪は修吾を向く。その表情からは深雪が何を想っているのか察することはできない。
「頑張って、必ず、治して下さい」
 喉まで出かけた苦しい想いを押し込め、修吾はありきたりな励ましを送る。
「ありがとう。じゃあ、お願いします」
 深雪のセリフにストレッチャーが動き始め、あっという間に病室を後にする。残された三人は言葉無くただ静かに立ち尽くす。
(もう二度と会えないかもしれない。もう二度と気持ちを伝えることができないかもしれない。本当にこれでいいのか俺は……)
 強く拳を握り、修吾は心の中で懸命に考える。
(言ったところで、叶う想いでもない。得るモノとしたら一時の満足感だけだろう。そして、その代償として、失うモノの方が大きいのが現実だ。そんな当たり前ことが分かっているのに、俺の心はなぜこんなにもうずくんだ……)
 時間とともに激しくなる胸の鼓動で、過去に感じた似たような記憶を呼び起こす。
(直美だ。卒業式の日に告白された、あのとき感じた感覚だ。俺はあのときの直美と同じような立場にいるのか。あいつは俺の気持ちを知った上で結果も分かった上で、自分の気持ちを伝えた。確か前に進みたかったから、って言ってたな。それに比べて俺は、深雪さんから結婚を告げられたあの場所からずっと動けないでいるのか。情けない、直美の方がよっぽど強いじゃないか。自分の心に嘘を付けない、か……)
 修吾は直美とのやり取りを思い出し、心を落ち着かせる。
(失うモノ、得るモノ、そんな打算からくる想いを告げたって、そんなもの本物じゃない。やっぱり、俺は……)
 目を少し閉じた後、覚悟を決めた顔つきになった修吾は自身の腕を掴んでいた沙織の手をゆっくり離す。
「修吾さん?」
「沙織、ゴメン」
 修吾の言葉に沙織はハッとする。しかし、修吾はその表情も流し、走って病室を後にする。残された沙織はその場でしゃがみ込み、開け放たれたドアを呆然と見つめることしかできない。
 廊下に出るとストレッチャーの姿は既にない。走ってエレベーターホールに向かうと、ちょうど閉まって移動を開始していた。
「確か手術室は二階だったな。四階なら走れば充分間に合う!」
 きびすを返すと、修吾はエレベーター横の階段を段飛ばしで駆け降りる。途中ですれ違ったナースに何かとがめられるが、一切耳に入らない。
 二階に到着すると同時に、エレベーターの扉が開く。肩で息をしながら修吾はそのときを待つ。ナースと共にストレッチャーが出てくると、直ぐさま修吾は駆け寄る。
「深雪さん!」
 予想もしない修吾の声に、深雪はすぐにストレッチャーから起き上がる。その顔は動揺の色を隠せないでいる。
「修吾、さん。どうしたの?」
「あの、俺さ……」
 二人のナースは興味津々なのか、修吾のことをじーっと見ている。
「その……手紙。読んだよ……」
 修吾のセリフに、深雪は全く微動だにしない。
「でさ、謝りたかった。気持ちに気付いてやれなくて。ずっと、何十年も辛い想いさせてて、ゴメン……」
 頭を下げる修吾に深雪は笑顔を見せる。
「そんな、わざわざ謝らなくてもよかったのに。修吾さんは何も悪くないんだから。可笑しな人ね」
「う、うん……」
 深雪を前にすると修吾も小さくなってしまう。
「お話しはそれだけ?」
 深雪の言葉に修吾の胸が大きく高鳴る。
「あの、俺は……」
「修吾さん!」
 修吾の背後にはいつの間にか沙織が立っている。その後から肩で息をしている真司も現れる。
「あらあら、結局みんな来ちゃったわね」
 深雪は一人苦笑する。沙織の出現で修吾は苦悶の表情を見せるが、深雪はその想いを察して優しく語りかけてきた。
「ありがとう、修吾さん。言わなくても、分かってるから……」
 深雪の優しい言葉に、修吾の目からは自然と涙が溢れてくる。
「アナタも沙織も、ありがとう。私、必ず病気に打ち勝って帰ってくるから。待ってて」
 そう言うと、深雪は再び横になり移動するようにナースに頼む。離れていくストレッチャーを修吾は涙も拭かず見送る。その姿を沙織は複雑な面持ちで見守っていた。

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