初恋
第六話 プロポーズ
 帰宅早々ドアを荒々しく閉じ不機嫌な態度帰宅する深雪に、雪絵はため息を吐きながら問いかける。
「また、何かあった?」
 深雪は玄関に立ったまま無言で頷きポケモンのマスコットの着いた鍵を見せる。
「しゅう君のうちの鍵ね?」
「駐車場で渡された。私の帰りを待ってたかのように」
「そう……」
「美里さん、あのときの病院での一件から、私を便利なベビーシッターみたいに思ってる。だからか分からないけど、しゅう君への育児放棄もひどくなってるし……」
 深雪は唇を噛みしめながら語る。
「鍵を受け取らなかったらしゅう君が一人で苦しむ。そんなしゅう君をほっとけない私の性格を見越して渡された。私、悔しい……」
 靴も脱がず玄関で立ち尽くす深雪を雪絵は優しく抱きしめる。
「いいの、あなたはそれでいいの。間違ってない。しゅう君の幸せを第一に考えてのことだもの。お母さん、深雪のこと誇りに思う。本当にいい娘」
「お母さん……」
 深雪は雪絵の肩にしがみついたまま、声を震わせ泣く。人前でほとんど泣かないことを知っているだけに、雪絵も優しく頭を撫でる。
「しゅう君、一人で待ってるわよ。早く連れてらっしゃい」
 その言葉に、深雪は何度も何度も頷くことしかできない。
 夕方、自宅に招き夕食を済ますとストーカーの如き雪絵を振り切り、修吾の自宅で入浴する。最近は日課にもなりつつあり、この光景も日常の一場面のように感じてしまう。
「ごめんね、しゅう君。ママ、今日も忙しくて帰って来れないみたい」
 お風呂場で頭を洗ってあげながら深雪は修吾を気遣う。当然ながらシャンプーハットは必須アイテムだ。
「いいよ。みゆお姉ちゃんがいるもん」
 あっさり答える修吾に苦笑する。
「ありがとう、でもママがいなくて寂しくないの?」
「ちょっと、寂しい。だけど僕にはみゆお姉ちゃんがいるから寂しくない」
「しゅう君……」
 こんな小さな子供に寂しい思いをさせ我慢させている状況を思い、深雪は泣きそうになる。
「お姉ちゃん?」
 突然振り向いて深雪の顔をじっと見つめる。
「な、なに?」
「大きくなったら僕のお嫁さんになってよ」
「えっ!?」
 突然のプロポーズに深雪は内心びっくりする。
「僕、ずっとお姉ちゃんと一緒に居たい。だから、ダメ?」
 小さいながらも熱く真っ直ぐ向かう瞳に深雪は笑顔で答える。
「いいよ。じゃあ、しゅう君が大きくなって、泣き虫じゃなかったらお嫁さんになってあげる」
「ホント!?」
「ホント。でも泣き虫じゃダメよ? お姉ちゃんを守れるくらい強くなきゃダメ」
「分かった! もう泣かない。僕、強くなる!」
「ふふっ、頑張って」
「うん!」
 シャンプーハットを被る小さくも真剣な男子の告白に、深雪の心はぽかぽかしていた――――

――数日後。いつものように手を繋いで二人は帰宅する。
「ただいま!」
 元気な修吾と一緒に帰ってくる深雪を雪絵は玄関まで出迎える。
「おかえりなさい、しゅう君。お姉さんと一緒におやつ食べようね~、深雪はどっか行ってよし」
「おい母!」
「冗談よ。しゅう君ランドセル置いて手を洗ってこようか。手を洗ったらリビングのビスケット、先に食べてていいわよ」
「うん」
 洗面台にダッシュする修吾を確認すると雪絵は小声で話しかける。
「深雪」
「ん?」
「大事な話があるからちょっと」
 いつになく真剣な表情に深雪も緊張感が走る。
「話って何?」
 部屋で着替えながら問い掛ける。
「しゅう君待ってるから手短に話すわね。しゅう君のママ、男と蒸発したわ」
「はあ?」
 蒸発発言に流石の深雪も袖を通す途中で着替えが止まる。
「正確には伯母にあたる人にしゅう君を押し付けて消えたみたい。今日その方がうちにみえたのよ」
「しゅう君はどうなるの?」
「その方に引き取られることになるわね」
「最低だ、あの女……」
「あの人のことはもう考えないの。しゅう君の幸せを最優先に考えてあげなきゃ」
「うん……」
「続きはしゅう君が寝た後にしましょ」
 顔を赤くし怒り心頭の深雪は真剣な眼差しのまま黙って頷いた。
 その夜、自室で修吾を寝かしつけると深雪はリビングへと足を向ける。これから話す内容が内容だけに足取りは重い。
「しゅう君寝た?」
「寝たよ」
 現状が現状だけに今夜の深雪は少しピリピリし、いつもはおちゃらけてユニークな父親の哲也も珍しく真剣な顔付きをしている。深雪がソファに座ると哲也がおもむろに話し始める。
「修吾君の今後のことなんだが、お母さんは修吾君を引き取りたいと言ってる。深雪はどう思う?」
「大賛成。当たり前でしょ?」
「しかし、修吾君の親戚方も前向きに引き取る方向で考えてる。何より子供が居ない家庭らしくてな、父さんたちが引き取るっていうのは難しいみたいなんだ」
「そう……」
「でも、お母さんは意地でも修吾君を引き取りたいらしい。困ったもんだ」
 溜め息をつく哲也に雪絵が反論する。
「私はお父さんと違ってしゅう君の身をちゃんと考えてるの。転校して見ず知らずの家庭に引き取られるより、故郷であり懐いてる私たちの元で育てた方がいいに決まってるわ!」
「修吾君の身を考えれば、か……。確かにそうかもしれん。しかし、いかんせん法的にもこちらが弱い。現実的にどうにもならんだろ」
「深雪とだって仲がいいし、本当のお姉ちゃんとして慕ってくれてる。だから深雪だって私と同じ気持ちなのよ! 見捨てられた上に、知らない誰かに連れて行かれるなんて考えられない!」
 ヒートアップする雪絵を見てその意見には賛同しつつ、深雪は逆に冷静にも考える。
(しゅう君にとって本当にいい選択ってなんなんだろう。私にできることって……)
 哲也との意見が平行線のまま一時間が経った頃、リビングの扉が突然開きパジャマ姿の修吾が現れる。
「しゅう君!」
 雪絵が焦りを隠しながら傍に寄る。
「どうしたの? トイレ?」
「さっきから僕の名前が聞こえてくるから……、僕悪いことした?」
「ううん、しゅう君は全然悪くないのよ」
 頭を撫でながら優しく答えるも次の台詞で深雪は愕然とした。
「でも、僕。お母さんに捨てられたんでしょ?」
(聞かれてた、一番聞かれちゃダメなことを……)
 深雪も含め、部屋の時間は止まる一瞬何も言えなくなった。しかし、意を決して雪絵が話しかける。
「ねえ、しゅう君。ここで一緒に暮らそっか。私もオジサンもみゆお姉ちゃんもいる。私たちは絶対しゅう君を見捨てたりしない。ずっとずっと傍にいるよ。ね?」
 修吾はしばらく黙っていたが、スッと深雪の前に来ると口を開く。
「僕、どうしたらいい?」
(しゅう君……)
 プロポーズをしたときと全く同じ、熱い瞳で深雪を見つめる。パジャマ姿でとても小さく頼りないはずなのに、その瞳だけは力強く輝いている。しばらく目を閉じて考えていた深雪はポツリと言う。
「……ずっと、私の傍にいたい?」
「うん」
「結婚したい?」
「うん」
「私をお嫁さんにしたい?」
「うん」
「分かった。じゃあ、しゅう君は親戚の伯母さんのところに行きなさい」
 修吾の目線までしゃがむと深雪ははっきりと言う。
「ちょっと、深雪あなた何言って……」
 深雪の言葉に反応する雪絵を哲也が制止する。
「ここで一緒に暮らしてたら、きっと私としゅう君は結婚できないと思う。前に言ったでしょ? 強くないと結婚しないって。簡単に想像つくんだけど、これからずっと一緒にいたら私、しゅう君をめちゃめちゃ過保護に育てちゃうと思う。今のお母さんみたいに」
 言われた雪絵も自覚しているのか黙り込む。
「しゅう君が本気で私と結婚したくて、強くなりたいんだったらここにいて甘えちゃダメ。分かるでしょ?」
 真剣な目で語る深雪に、修吾は無言で頷く。
「いい子ね。じゃあ、約束して。大きくなったら私を迎えに来る。そして、それまではお互い絶対泣かない、強くなるって」
「わかった、泣かない。強くなってお姉ちゃんを迎えに行く!」
「ありがとう、ずっと待ってる」
 笑顔の深雪に修吾も笑顔になる。雪絵だけはまだ納得いかない様子で浮かない顔をしている。
「じゃあ、もう遅いからお布団に入って寝るのよ。たくさん寝ないと大きくなれないんだから」
「うん、わかった。おやすみお姉ちゃん」
「おやすみなさい、しゅう君」
 修吾がリビングを後にしたのを確認すると、雪絵が即行で問い詰める。
「なんてこと言ったの深雪。明日にでも取り消しなさい!」
「それはできない」
「どうして!?」
「本気なの」
「えっ?」
「目がね、本気なの。私、真剣な目というか想いってすぐわかるんだ。命を懸けて本気で向き合う目が。しゅう君は確かにまだ小さいよ。でも、想いの強さとかその真剣さに老若はないと思う。しゅう君のあの目、あの想い、誤魔化したり蔑ろにするなんてできなかった」
 淡々と語る深雪に哲也は素直に頷く。
「ごめんね、お母さん」
 謝る深雪に雪絵は最後まで黙ってうつむいていた。
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