今日も明日もそばにいて
①女心と残暑の空に

「…はぁぁ」

「あっ!幸せが逃げて行ってるのが見える!」

…。

「ぇ…えっ?ちょっと、な、に?何?…不吉な事、言わないでよね。…びっくりした…」


驚かせてしまったかな。誰も居ないから気を抜いていたんだな。…よし!ふぅ。

「ピッ。ピッ」

自販機で迷わずホットコーヒーとアイスコーヒーのボタンを押した。…ふぅ。…行くぞ。
腰掛けている先輩の前に置いた。休憩に来ている事は知っていた。

「ハハハ!そんな訳ないでしょ?コーヒー、ホットでいいですよね?…熱いですよ、はい、どうぞ」

「え?あ、いいの?…有難う。…えっ?神坂君も休憩?」

「はい、まぁ、そんなところです」

いつから居たんだろう。今かな…。気がつかなかった。はぁ、私…、結構長い時間ボーッとしてたんだ…。休憩しに来たはずなのに…何にも買わずに座って肘を付いて…、ただ宙を見ていたなんて…。はぁ。あ、また溜め息。…もう。

「ごめんなさい」

「え?あー、通り掛かったんで、俺もちょっと休憩する事にします。それより、どうしたんです?あんな盛大な溜め息なんて、珍しい…」

…。

見つめられてしまった。

「…ぁ、えっと、隣、いいです?」

アイスコーヒーを手に立っていたが、返事も待たず、椅子を引いていた。もう、一杯一杯だ。

「あ、うん。どうぞどうぞ。…はぁ。んー…どうしちゃったんだろう、ね?」

「ぇ、はぁ?」

そんな…。

「聞かれても、自分でもよく解んない…」

こっちもです。でも。

「ああ、溜め息の元ですか?んー、まぁ、自然に何となく?しちゃうモノですけど。休憩中ですし。あ、何か無くしました?それでとか…」

そんなこと、ないよな…。アイスコーヒーを一口飲んだ。会話…上手く言葉を繋ぐのは難しい。飲むことでひと息、…誤魔化した。…はぁ…苦しい、動悸がする。こっちこそ大きく息を吐きたいところなんだ。

「ううん。溜め息が出るような、そんなよほどの物、無くした覚えもないわ」

そうですか。ですよね。…物ではないと。

「じゃあ…、食べようと楽しみにしていた物が、冷蔵庫を開けて見たら忽然と消えていたー、とか?」

ハハ、そんなはずはない、だろう。

「ううん、そんな事は…。え、ちょっと?今のはどういう意味?…そんな物忘れなんかじゃ…」

「あ…そんなつもりじゃ…違います。まあ、まあ。だとしても、それほど重症ではないって事ですよね。では…、残る可能性は……恋」

…ゴク。

「こい?」

「はい。こ、い、です。魚の方じゃなくて下心の、恋の方」

「下心って書くって説明がなくても…解ってた。魚の方は全然ピンと来なかったけど…ん〜。恋…違う気がする。って言うか、それは無い…無い無い。ねえ…何だと思う?」

う…そんな…首を傾げられても。…恋は…無いんだ…そうか。そうなんだ。

「それは…俺に聞かれても解りませんよ」

「そうよね…」

「はい」

「…はぁ。あ、またついちゃった、フフ。これは明確。……コーヒー、いただきます」

「あ、はい」

フゥーッと少し長めに何度か息を吹きかけ、ズズッ、ズズッと、熱いコーヒーを少しずつやっと口にした。

「はぁ…ホッとする…有り難う」

冷たい物は実は体にはあまり良くないと知ってから、夏でもこうしてホットを飲んでいた。美容というより、健康。…体の冷えを気にしてだ。その事をなぜだか知っている?この後輩…。

「あ、いえ……あー、俺がフーフーしましょうか?熱いですよね、猫ですよね?」

「お願い」

「え゙っ?」

…、ドキッとした…そんな返し、されるとは思わなかった。不意打ちだ。露骨な声が出た。

「え?フフ、冗談よ冗談。そんなに驚かなくても。なんとか飲めてるから大丈夫。あのね……お願い~、なんて…そんな事、させる訳無いじゃない?初めて奢って貰った上に、そんな事までさせてしまっては、私って何様?って。どんだけの数の呪いを受けるやら…」

「………呪い?」

呪い?なんだ、それ。

「そうよ、呪い。恐いわよー。ねたみ、そねみ、…嫉妬ね。嫉妬、嫉妬のオンパレードよ。世の中で出来るなら受けたくない恐いものよ」

「嫉妬なんて…。そんな…俺は」

無言で見つめてしまった。

「ん?んん。貴方の後ろには女性の影が~、なんてね。フフ。神坂君は断トツのナンバーワンイケメンらしいから、そういう意味でね?」

「え…あ、はぁ、そんな事は…どうなんだか…。女の人の言う事は、どうも…。それより、今日は残業は無いですよね?早帰りの日だから」

「うん、はい、そうね、多分。あー、ねえ?私も一応、その女の人の部類にはなるんですけど?」

…目を細めて見つめた。

「あ、ま、とにかく…。今日、飲みに行きましょう、ね?はい決まり、決定事項!」

「えー?何…いきなり。突然すぎない?話が飛び過ぎな…」

「はいそういう事で。帰り、一緒に出ましょう」

「え?ちょっと、唐突過ぎない?急にどうしたの?」

そりゃあ、そう言われたらそうでしょうけど。決断は…そういうものでしょ?

「なんでって言われたら…幸せの取り戻しですよ、溜め息の。あ、都合悪いとか拒否権は無いですから」

…はぁ …半端なくドキドキしていた。満を持して…清水の舞台から飛び下りたくらいの勇気を出したんだ。…言ったぞ、とうとう。実は余裕なんて全然ないなんて、そこは悟られたくはなかった。

「はぁ?…。…まあいいわ。解りました」

よしっ!やった…上手くいった。

「では、帰りに声掛けますから。俺、通り掛かっただけなんで、もう戻ります。では」

…ふぅ。

「え?もう?休憩じゃなかったの?」

あ、行っちゃった…。休憩じゃなかったんだ…。どうしたんだろう……急に飲みになんてお誘い。…えー……いいのかな、王子と飲むなんて…。
…そろそろ、私も戻らなくちゃね…。ご馳走さまでした。程よく冷めたコーヒーを飲み干した。
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