榛色の瞳を追って
「ちい姉ちゃん、袖がほつれたから縫って」

夜、お風呂屋さんから帰った私にブラウスを持ってきたのは、5歳年下の妹のあさ。
日記には漢字で『朝』と書くこともありますが、本当はひらがなです。

日本育ちの母は漢字を当てているのですが、父には難しいらしく、女の子たちは皆ひらがなの名前なのです。

「あさ、自分で縫えないの?」

「姉ちゃんのほうが巧いもん。 縫い目が綺麗だし、痛くならない」

いくら私が女学校の裁縫科を出たとはいえ、家事を頼りすぎだと思う今日この頃。
家の手伝いでも、お炊事や繕い物をしている妹を見たことがありません。 困りました。

「家のことをしておかないと大変なことになるわよ、朝子ちゃん」

「私『朝子』じゃないもん! 『あさ』だもん」

横から話に加わってきたのは、私と一回り違う上の姉、みさ。 9人きょうだいの上から2番目、同居している文男(ふみお)兄さんのすぐ下に当たります。 貿易商の深町さんに嫁いだので現在は深町みさという名前です。

名前は宗派は違いますが、礼拝から名前が取られたと思っていましたが、どうも違うようです。 正しくは、元は英国籍で”メリーサ”といい、帰化の手続きの時にそれが訛って”みさ”となったそうです。 母は漢字で『美佐子』と当てています。

私も小学校に上がるまでは”ルイザ・クラリーサ”という名前でしたが、帰化した時に”クラリーサ”が訛って”ちさ”となりました。 漢字では『智佐子』と当てています。

「マムの手紙見てもそう言っていられる?」

母は手紙の宛名に『○子様』と書くので、だいたい本名とは違う名前が書かれるのです。
いつだったか、遠くに嫁いだ下の姉、りさへの手紙の宛名に『浅村理佐子様』と書いていて驚きました。

「だって、私まだお嫁に行かないよ! なか姉ちゃんだけでしょ、おお姉ちゃん」

姉と妹の不毛な言い争いを聞きながら、私は考えていました。

「もし、私が遠くに嫁いだら『智佐子様』なんて書かれた手紙が届くのかしら……」

後で妹が言っていたのですが、ふわふわの赤毛で髷すら結えないのに、花嫁装束を着た自分を想像して、顔から火が出ている私がいたそうです。
< 11 / 25 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop