いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
〝クリエイター1課の林檎さん、めでたくご結婚〟
〝クリエイター1課の林檎さん、めでたくご結婚〟という最近のトピック。
「林檎さんって、上杉部長のフィアンセなんですか?」
違います。
「え?マジ?あなたが?上杉さんの?」
違います。
「それってぇ、もう元カノって事かなぁぁ」
血が居ます……チッ、入力ミス。さらに変換ミスまでしちまった。
「で、会社いつ辞めるの?」
「あたし辞めませんっ」
通路で仁王立ちになってまで主張した。今日はせっかくの〝アタリ〟の日。だが、何かに必死過ぎる女に向かって、気軽に声を掛ける男性など居ない。
あの日……なんちゃって婚約者に祭り上げられて以降、まるで誰かの回し者なのかと疑うほど、クソ女……じゃなくて研修参加者が次々とやってくる。
「どれ?」「あれ?」「マジで?」「ウケるぅ」「地味に地味なんだけど」
遠くから指をさし、アザ笑い、勝った!という態度で去っていく。屈辱プレイが過ぎる。これじゃ仕事にもならない。
「林檎まゆ」
上杉部長に呼ばれた時、1度は無視した。それほど、林檎さんは怒っている。
「林檎」と、また来る。知るか!
「返事しろ。渡部を殺すぞ」
見ると、渡部くんが首根っこを掴まれて人質に取られていた。ここはいつかの君のように、林檎さんも凍りついた笑顔で見なかった事に……「林檎さぁぁん!」
今まで見せた事もないような惨めな顔で訴えられたら、行かざるをえない。
もうっ!
あの日……会場の隅で踏ん反り返る上杉部長に睨まれながら、鈴木くんがナビゲーターになって進められた研修、そのグループワークにおいて……貧乏なのに生活費が貰えないとして70代のお婆ちゃんが「訴えてやるわい!」と受付でキレる……というクソ芝居を演じて以降、上杉部長は毎日のように1課にやって来て仕事を言いつけるようになった。内線は一切使わず、4階フロアに直接やって来ては、「データを抜いておけ」と作業を押しつける。
喫煙室を出入りするそのついでに作業状況を窺っては、
「俺は特別難しい事は言ってない。一体いつまで掛かるのか。ここは時差でもあるのか。それとも、おまえは生きる事を止めたのか」
作業が終わるまで、上杉部長はその都度嫌味を言い続けた。早く逃れたいと、こっちはひたすら作業に没頭するしかない。キーに触れる指先1つ1つに怒りを込めて、あたしは叩く、叩く、叩く!
最後は、「日本語は通じる。無いよりマシ」と無理やり納得して、上杉部長は出来上がった資料を奪って忽然と消えた。
ここ一週間、そんな雑用祭りが続いている。
もうっ!イライラするっ!ちくっと、やらせろ!
だけど、それが万が一上杉部長にバレたら、あの程度の嫌味では済まないんじゃないか。それを思うと、仕事中におちおち仕込んでもいられなかった。
確かに言われる作業は、それほど難しい依頼じゃない。合間に自分の仕事も出来る。それでも、ちょっとでも遅れたらまた何を毒づいてこられるとも限らないと、とりあえず何を置いても最優先でそれを片付けていた。
林檎、林檎、林檎……呼ばれる度、その口に毒リンゴを突っ込んでやろうかと。
そして、敵は上杉部長だけではない。あれは絶対あたしを待ち伏せしている。これはもう確信に近い。エレベーターで4階フロアにやって来て、通路を占領する女子の1郡ありにけり。恐る恐るエレベーター前に立ったら、その女目当てなのか、久保田がぬらりと近付いてきた。
「上杉さんとコトブキだって?奇跡だぁ。神よ~。俺のボーナス上がるかな」
早速、吹き散らしてくれる。周囲の女性群が一瞬で粟立つのを機嫌よく受け止めて、久保田はやってきたエレベーターに飛び乗った。
あたしは身の危険を感じて、一時、給湯室に避難。彼女たちの研修はいつ終わるのか。それを待ち望むしか術はない。嫌味を浴びせる1部の狂信的な上杉シンパを別として、こういった女性参加者からは、あたしはほんのり遠巻きにされているようだ。通路、ロビー、階段、何処を行っても、すれ違い様に女の子は後ろ指を差してキャッキャッと行く。中には値踏みするみたいに上から下まで探られた事もあった。真意は分からないが、今はその程度で済んでいる事が奇跡だと思って胸を撫で下ろす。喫煙室に彼を追って現れる女の子も、あれ以降は見ない。
つまり……上杉部長の作戦は一定の効果を得たのだ。
おかしいゾ。無理が通れば、当たり前のように道理は引っ込むのか。でもね?それで渡部くんが、「何かツマんないっすね。帰ろっかなぁ」と仕事のやる気まで削がれるというのもおかしな話だよ?一方、いつかの、ひよこまんじゅうが誰かの手作りウェディングドレスを着せられて、部長席に飾られてるというのも、おかしな話だ。まさか、あたしって会社中から舐められているのか。
「いやもうそれはイジられてんでしょ」って、サクッと言わないでっ。美穂!
近頃は、誰かの口から自分の名前が飛び出すだけで、びくっと体が反応した。ランチの途中、打ち合わせに向かう途中、上杉部長によく似たそれらしい姿を見ただけで、思わず誰かの背後に隠れる。通路を通る靴音にさえ区別がつくようになってきたから……これはもうヤバ過ぎて、神。
今日は仕事が立て込んでいる。林檎さぁん!とやって来た後輩達を土下座する勢いで後回し、ランチの時間を潰してさえいるのに言われた作業分が終わらない。
……上杉部長が来てしまう。そこら辺の社員の反応だけでその姿が見えなくても、もうそれだと分かった。そこからあたしはまるで忍者のように机の下に潜る。
程なくしてやって来た部長は、「居ない」と言ったきり、そこから立ち去る気配を見せない。その靴先を視界に留めながら息を殺していると、
「出て来い。せめて進捗を語れ」
あたしは観念して、ゴミ箱を抱えて立ち上がった。
「申し訳ございません。8割がた終わってます。1時間頂ければ仕上げます」
「残りは今日中でいい。今から最上階のフロアに行くぞ」
その返事は口から出るより先に、ぐぅ、とお腹から出てしまった。咄嗟に押さえたけれど、あんまり恥ずかしくて顔を上げられない。
その時だった。
「上杉部長、僕で良かったら林檎さんの代わりに手伝います」

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