アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

次の瞬間、強い力で胸倉をつかまれた。
そして私が声をあげる間もないほどの素早さで、私の体は強く店の扉に押し付けられた。
ひやりとした扉の冷たさと恐怖で、私は思わず身を固くした。


咄嗟のことで声も出なかった。
男は私の口を手で強くふさいだ。その拍子に私の後頭部が冷たい壁にぶつかってごつん、と鈍い音をたてた。


「声を出すな。……さわがなければ何もしない」

そう言いながら、男は私の喉元に冷たい金属を押し付ける。
生まれて初めて味わう死の恐怖に全身が粟立(あわだ)った。


私は命惜しさに小さく何度も頷いた。


男はそれを見て白い息を吐くと、私の体を扉の隙間に押し込むようにして店の中に入った。


私をいきなり壁に押し付けたこと、ナイフを突きつけたこと、私の体ごと店の中に入り込んだこと。
すべて迷いのない行動だった。

……慣れている。

男は勝手口付近にある電気のスイッチを消し、私を押さえ込んだままドアの向こうの気配に耳をそばだてている。
こんなときどう行動したらいいかもわからないまま、私はただ震えていた。


店の裏路地を、誰かが走りぬける音が聞こえた。その足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなると、彼は私を離した。

電気を消したために店の中は真っ暗で、明り取りの窓から外の街灯の青白い光が弱々しく差し込んでいる。

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