~団塊世代が育った里山から~


その後の里山「終章」

時代の流れは生活環境を変化させ人の体も変えて、高度経済成長が始まった景気のいいころから食生活が豊かになって、人々はコメや野菜を食べる量が減り小麦製品や乳製品に肉を多く食べるようになるのです。
おいしい物を多く食べる人々は、食材のなかに含む添加物や残量農薬が体内に蓄積することで、腸内細菌が弱ってアレルギーに敏感になるのです。
戦後の間もないころの治ることのない病だったカッケと結核の死亡率が少なくなって、バブル景気の頃から死因の第一位が、ガンに取って代わって第二位以下は心臓病と脳卒中になるのです。

経済が飛躍的に拡大する世の中は、資産価値の上昇と企業の好景気による影響で余暇を楽しむ人々が増えるレジャーブームの時代を迎えて、人々はリゾート地へゴルフ場やスキー場へと出かけるのです。
大きな資本を持った企業はレジャーブームと好景気の波に乗って、地方に大きな工場やレジャー開発会社が安価な土地と労働力を求め、里山の高原地帯や田畑の広がる平野に進出してきたのです。

高原のひなびた湯治場で文人墨客が愛した静かな地は、リゾート開発がドンドンと進む里山の人たちと渓谷に大きな影響と変化を及ぼし、ユックリと流れる時間を過ごすのができない忙しく騒がしいにぎやかな一大リゾート地に瞬く間に変貌するのです。
年寄りだけが家に残って、働ける人はリゾート地のホテルやゴルフ場とスキー場へ勤め始めて、平野部では物を作れば売れる工場が次から次と落成する会社が採用する人が増え、毎月安定した収入が得る暮らしに変化するのです。

リゾート開発事業は原始だった山の奥まで簡単に車で入れる道路を作り、山の峰は切り崩して沢を埋め立て森や川の消えた奥山に平気で人間が踏み入るのです。
何百年もの長い歳月をかけて育ったブナやナラの自然木が無残に伐採してしまい、手がつかずの原生林が頂上付近まで切り開いて、自然に恵まれた一帯を住処としていた動物たちを山から追いだしてしまうのです。
人間に無縁で生きてきた動物たちも人が与える恐怖と生息環境を狭めてしまい、居住空間の奥山から里山近くに下りてくるようになるのです。
食べ残しを捨てたものを食べて味を覚えた動物は、山で苦労してエサを探すよりも里山近くの畑に育つ野菜を食べることを人が追いだしてから学習したのです。
林の下刈や間伐に枝落としの手入れをしなくなった環境は、山を出た動物が安全に身を隠す場所が整って、エサに困らない人里の近くに快適な生活空間を得たのです。

険しい峰々を削り取って造成するスキー場や、なだらかな高原地形を利用したゴルフ場には除草剤や農薬が散布して、飢えから救った山菜の宝庫は区画整地した別荘分譲地に変わるのです。
高原の景色には不釣り合いな、コンクリートで固めた大都会と見間違う大きな建物が並ぶホテル群は、自然のなかに騒がしい都会がそのまま移ってきたようなのです。
先人も足を踏み入れたことがない奥山の、山肌の表土がむき出しになったスキーコースは、大きな化け物が引っかき傷を付けたようで悲しい感じがするのです。

働き場所が恒常的に見いだした里山の人々は次から次と新築ブームが始まり、基礎部分を高くした一階部分が雪に埋まらない造りにするのです。
高い屋根に積もる雪は自然に落下する急傾斜の設計で、雪降ろしから解放した新しい家に変わっていくのですが、かつては街道の両脇に並んでいた情緒あるカヤブキ屋根の家は、時代の流れで消えてしまい利便性だけを考えた家が建つのです。
新しい家で始めた便利な生活は、昔に暮らした自然の厳しさに耐えるのを忘れて、快適さにゼイ沢を追求すればするほど月にかかってくるのが家計費なのです。
湯治場は一大ゾート地になって多くの人たちでにぎわっていて、平野部の景気の良い工場は連日残業続きで忙しく、定期的に家庭に入る現金は生活を潤す力は偉大なのです。
昔のつらかった労力を現金の力で解消してくれるのは、雪降ろしをしなくて済む屋根の家になって、化石燃料を豊富に焚いて気密性の高い部屋で暖かい冬を過ごし、温かいお湯がいつでも出る快適さを得た時代の流れは大きく暮らしを変えたのです。

何もなかった時代から半世紀が過ぎた今に暮らす人々が忘れているだいじなことがあって、リゾート会社から安定して現金を得るのは、大いなる大自然が自らを傷つけた犠牲を払ったうえに、自然景観を売って金銭を生みだしてくれる恩恵があるからなのです。
平野部に落成をした工場の近くに住む人々は、清らかな空気を毎日吸っていたのが工場から排煙する変な匂いを嗅いで暮らし、有毒物質を含む排水が河川へ垂れ流して田んぼに引き込む公害が社会問題になるのです。

そんな給与がもらえる職場で仕事をする人が多くなり、野菜は自家消費するだけで出荷するほど多くを作らなくなって、働く合間に手間暇をかけて野菜を作る時間もなく費用対効果を考えたらスーパーで買った方が安くて、耕さなくなった畑は耕作放棄地になってススキ野原に変わってゆくのです。
兼業で農家を営むには、人の労働力がなくても決めた期間に農作業を終わらせてくれる、仕事の早い農業機具が頼りなのですが実に高価なのです。
作業がわずかな時間にしか使わない農業機具のためにコメを作って、その収穫で得た収入を支払いに回す経費は大きく、個人が働きながらコメを作る農業には限界があるのです。
収入の悪い兼業農家は田んぼを手放さないで、多くの機械力を持つ専業の大規模農業経営者に委託するのです。

そんな良い時代は長く続かず悪夢の毒にどっぷりとつかっていたバブルが弾けて、不景気になったリゾート地に建てた巨大なホテルは次から次と倒産をして、自然景観を損ねる無残な廃屋になって取り壊し費用もなくてボロボロ状態で放置してあるのです。
かつての湯治場は、リゾート地として華々しく登場してから衰退をたどり、その反動で働き場がなくなった若者がいつの間にか里山に居なくなって、ひとり暮らしの老人や危険が極まりない廃屋が多くなるのです。
忙しくて残業の毎日だった工場は、長引く景気の悪化を受けてリストラ対象になった人々は、住み慣れた家を捨てて県外に転勤するか、再就職のあてもなく工場を辞職するかの判断を迫っているのです。

団塊世代に育った親は自分が経験した苦労を我が子にさせたくない思いで、高学歴を身に着けさせるために都会の大学へ進ませるのですが、卒業してもバブルが弾けた不景気で地元に就職する企業がなく、仕方がなく一極集中色の濃い都会で就職をするのです。
残った団塊世代の親はダンダンと高齢になって足腰が弱って農作業もままならず、一坪でも多くの土地を耕作しようとして先祖代々が守り抜いた田畑は、雑草が生い茂る後継ぎのない耕作放棄地が増え続けて過疎が進むのです。
わずかに残った若者や都会から帰郷した人に、後継ぎに期待する農業労働力は雪の始末の苦労や不便を嫌って、雪の少ない町へ先祖伝来の田畑と屋敷を簡単に手放して引っ越してしまうのです。

あっと言う間に半世紀が過ぎ去った里山の大自然は、冬になれば降雪量は少なくなっても相も変わらず雪は降り続いているのです。
いくら便利な世の中になっても、雪国生活者の気持ちのなかで安ど感と喜びをもたらして繰り返して訪れる春は、生命力にあふれる芽吹く若葉や名前も知らない野花の甘い薫りは、今も昔と変わりがなく野山から匂ってくるのです。
昔の里山の風景と今は様変わりをしたのですが、野山で季節変わりの独特に漂ってくる匂と自然が奏でる音は、かつてなかった人工音以外はさほど変わらないのです。
見上げる霊山に広がる裾野を覆う緑の衣は、所々を自然破壊という名で破ったように見るも無残に傷をついても、霊山は怒ることがなく静かに山頂から見下ろして、下界で生きる人々の暮らしを今も守ってくれるのです。
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