~団塊世代が育った里山から~
団塊世代が懐かしく思う里山の風景
子供の頃に暮らした里山を途切れ途切れに思い起こすと、冬の荒れる日に目覚める枕元で降る雪が障子戸をサラサラと打ち付ける音がしていて、今日も雪をかき分けて学校に行くのだと思うとセンベイふとんから離れづらくなるのです。
凍えるようなナガシ「台所」では、母親はツケ物タルの表面が薄く凍っているのを割って、野沢菜漬けを取り出して氷のついたままサクサクと切る音がして、父親はラクダ色をしたメリヤスの肌着のままで、カイバオケの上に押し切りを乗せてザクザクと小気味良くワラを切っていて、マヤで牛がモォ~モォ~と鼻から白い息を吹き出して早くエサが欲しいとねだっているのです。
広々した茶の間のヨロリでマキが激しくも静かにもはぜて燃える音がして、丸太がろっ骨のように見える高い天井に火があおった煙がたまって、薄紫色の雲のようにユックリとうごめいているのです。
家が煙だらけになっている日に雪遊びをして帰ると、太陽の光が雪に反射するマブシさに慣れた目が、家のなかでは真っ暗に見えてしばらくは静かにしているのです。
近所の家からは親が叱る大きな声がして泣いているのを聞くと、「アノヤロォ~ また何を ワンサシテ シカランテ エンダロォ~」と思いやり、暖かな日だまり場で遊ぶ子供たちの騒がしい声がどこかしこから風に乗って聞こえてくるので、どっちの仲間のところに行って遊ぶかを思案するのです。
田植えがすっかり終わった田んぼで、ケロケロケロと鳴くカエルの大合唱に心はおだやかになって、暑い夏の盛りも過ぎた晩夏の夜長は、にぎやかに鳴くさまざまな虫の声を聞きながら眠りにつき、玄関戸の隙間から土間に赤く帯状に朝日が差し込んで、小鳥たちの群れが木の枝でさえずる鳴き声で目覚めるのです。
初夏の遊び場で楽しく遊んでいる最中に大粒のにわか雨が降りだして、逃げ込んだ雨宿りの軒先でベト「土」を跳ね飛ばしながらバシャバシャと降る雨音が話す言葉をかき消して、膝小僧を抱えて雨粒の落ちる遊び場を眺めているのです。
雨で白くカスンで見える向山は、水墨画に描いたような濃淡に見える麓には低く霧が流れていて、薄い色の虹が架かっている幻想的な風景なのです。
四季によってさまざまに変わる優しさや厳しさのある大自然と一緒に生きてきて、里山での暮らしは団塊世代に何を教えてくれたのか思うと、世の中で何があっても動じず忍耐強く生きていくことへ導いてくれたのではないだろうか。
大人に育つ過程で性格形成上に必要な一つひとつが、心と体を満たしてくれた自然のなかでの遊びや苦しい暮らしが、感性が豊かで優しさが持てる人間になることを教えてくれたと思うのです。
育ち盛りが食うことにヒモジイ思いをしても山の動植物を捕って食べることを身につけて、自然にあるものを使って遊び道具を作る工夫ができて、統率力ある大きな子供から人とのあいだを生きていく術を覚え、さまざまな状況の教えの舞台になった里山に感謝する思いなのです。
子供の頃に暮らした里山を途切れ途切れに思い起こすと、冬の荒れる日に目覚める枕元で降る雪が障子戸をサラサラと打ち付ける音がしていて、今日も雪をかき分けて学校に行くのだと思うとセンベイふとんから離れづらくなるのです。
凍えるようなナガシ「台所」では、母親はツケ物タルの表面が薄く凍っているのを割って、野沢菜漬けを取り出して氷のついたままサクサクと切る音がして、父親はラクダ色をしたメリヤスの肌着のままで、カイバオケの上に押し切りを乗せてザクザクと小気味良くワラを切っていて、マヤで牛がモォ~モォ~と鼻から白い息を吹き出して早くエサが欲しいとねだっているのです。
広々した茶の間のヨロリでマキが激しくも静かにもはぜて燃える音がして、丸太がろっ骨のように見える高い天井に火があおった煙がたまって、薄紫色の雲のようにユックリとうごめいているのです。
家が煙だらけになっている日に雪遊びをして帰ると、太陽の光が雪に反射するマブシさに慣れた目が、家のなかでは真っ暗に見えてしばらくは静かにしているのです。
近所の家からは親が叱る大きな声がして泣いているのを聞くと、「アノヤロォ~ また何を ワンサシテ シカランテ エンダロォ~」と思いやり、暖かな日だまり場で遊ぶ子供たちの騒がしい声がどこかしこから風に乗って聞こえてくるので、どっちの仲間のところに行って遊ぶかを思案するのです。
田植えがすっかり終わった田んぼで、ケロケロケロと鳴くカエルの大合唱に心はおだやかになって、暑い夏の盛りも過ぎた晩夏の夜長は、にぎやかに鳴くさまざまな虫の声を聞きながら眠りにつき、玄関戸の隙間から土間に赤く帯状に朝日が差し込んで、小鳥たちの群れが木の枝でさえずる鳴き声で目覚めるのです。
初夏の遊び場で楽しく遊んでいる最中に大粒のにわか雨が降りだして、逃げ込んだ雨宿りの軒先でベト「土」を跳ね飛ばしながらバシャバシャと降る雨音が話す言葉をかき消して、膝小僧を抱えて雨粒の落ちる遊び場を眺めているのです。
雨で白くカスンで見える向山は、水墨画に描いたような濃淡に見える麓には低く霧が流れていて、薄い色の虹が架かっている幻想的な風景なのです。
四季によってさまざまに変わる優しさや厳しさのある大自然と一緒に生きてきて、里山での暮らしは団塊世代に何を教えてくれたのか思うと、世の中で何があっても動じず忍耐強く生きていくことへ導いてくれたのではないだろうか。
大人に育つ過程で性格形成上に必要な一つひとつが、心と体を満たしてくれた自然のなかでの遊びや苦しい暮らしが、感性が豊かで優しさが持てる人間になることを教えてくれたと思うのです。
育ち盛りが食うことにヒモジイ思いをしても山の動植物を捕って食べることを身につけて、自然にあるものを使って遊び道具を作る工夫ができて、統率力ある大きな子供から人とのあいだを生きていく術を覚え、さまざまな状況の教えの舞台になった里山に感謝する思いなのです。