むらさきひめ~死にたがりの貴方へ

しきメール7

 怖くて、足がすくんで、今にもへたり込んでしまいそうで――それでも、どうしてか、そのままではいたくなかったんだ!

「うわあああっ!」

 情けない、ほとんど悲鳴を上げて、死姫とトランプの間に割り込む。
 死姫に届くはずの刃が、僕に触れる、僕を切り裂く――そう思った、その刹那。
 突風が、吹きぬけた。鼓膜を震わして、辺りの空気をゆるがせて、凶悪なトランプがぱらぱらと舞った。

「ふう」

 僕の前に、立つのは小柄な人影……シロだった。その背中に、うっすらと何かが見える。透き通った白い翼。まるで、天使みたいだった。

「危ないところだったね、お兄ちゃん?」

 柔らかく微笑むシロ。その翼が、すうっと消える。僕は思わず目をこすった。今のは、幻だったのだろうか。

「あなた達……」

 静かな声に、苛立ちを含んだ声が耳に届く。死姫が、僕―いや、僕達を睨んでいた。

「わりーわりー」

 僕のとなりで、軽い声が謝った。

「いや、ほんの冗談のつもりだったんだぜ?」

 青年は僕を見て、薄く笑う。その手にあるのは、一枚のトランプ。シロが逃した一枚だったのかもしれない。
 たった一枚でも、きっと僕には致命的になりかねない一枚、人差し指と中指で挟んだそれを投げ捨てる。そうすると、下に落ちる前に彼女の元へと飛んでいった。

「まさか、本気にするとは思わなかった」

 助けようとして、結局助けられてしまった自分。シロと、多分目の前の青年にも。何て情けなくて、かっこ悪いんだろうか。思わずうつむく僕に、続ける。

「しかしよ……根性あるじゃねーか」

「え?」

 僕は、思わず顔を上げる。笑っていた。僕をバカにした笑顔ではなくて、もっと別の何かで。
 にやりと歯を剥いて、彼は笑っていた。
 だから、戸惑う。

「そうだね」

 シロも、頷く。

「……だけど、僕は」

 結局、何もできなかった。
 ただ、助けられただけじゃないか。
 それよりも、かえって。死姫にとっては、ただ邪魔になっただけなのかもしれない。ちっともかっこなんてついてない。ただただ情けないだけじゃないか。

「結果は、そうでも」

 彼女の言葉が、続く。

「あなたのしたことは、素晴らしいと思うわ」


「……え?」

 僕は、彼女を見た。その氷みたいな無表情が、少しだけ微笑んでみえたのは気のせい……じゃないのだろうか。
 相変わらず、素っ気無い声だったけれど、

「わたしを、助けようとしてくれたんでしょ? こういった場合、そういった行動を取れるヒトは本当に少ない。だから、そのことは誇っていいと思うわ」

 僕への肯定。
 ほんの少し優しい言葉を僕に残して、彼女はまた背を向けた。
 そうして、赤い瞳の少女へと向き直る。

「主殿」

「もう少しだから、待っていて」

 何やら言いかけた彼の言葉を、死姫は遮った。

「何が、もう少しなの?」

 手元にトランプを戻した少女が、不機嫌そうに唸る。こちらに背中を向ける、死姫の表情はわからない。
 涼やかに言う、死姫。

「その程度じゃ、わたしには利かないわ」

「……なん、ですって?」

 少女の声に、鋭いものが混じった。

「聞こえなかった?」

 死姫は言う。ほんの少し、笑いをふくんだ声だった。

「もっと、本気でやりなさいって言っているの。彼を、連れて行きたいんでしょ?」
 彼、と。
 死姫が言った途端、彼女が僕を見た。その赤い目に見つめられて、また背筋が凍りつく
 ふと、その視界を遮るものがあった。
 白い翼。シロの背中から、また生える翼が、彼女の姿を隠してくれたんだ。震えが、僕の身体から消える。

「あの……」

「不用意に、彼女の目を見ない方がいいよ? 邪視だからね」

「……じゃ、し?」

「呪いのこもった視線だね。耐性のない人間は、それだけで生命力を削るよ」

 何となくだけど、わかった。そうして、彼が僕を守ってくれたこともわかったから。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」

 シロは、にこやかに微笑む。また翼が消える。僕は、彼女の紅い瞳を見ないように注意しながら、ふたりを見守った。
 彼女は、もう僕には注意を払わなかった。

「いいわ」

 紡がれる声が、周囲を振るわせる。

「本気で、やってあげる」

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