二階堂桜子の美学
第二十九話 妄想
 瑛太はすぐに桜子から離れ、小屋の外に出る。
「椿! なんでオマエがここに?」
「あ、あの、今日実家に帰るって言ってたから、内緒で……」
「東京から付けてきてたのか?」
 椿は申し分けなさそうに頷く。桜子も瑛太の後に続き小屋を出るが、怖くて椿をまともに見れない。
(どこから見られていたんだろ、最悪ハグから見られていたと考えた方がいいか)
 掛ける言葉が見つからず黙っていると、瑛太が口を開く。
「どこから見てた」
 核心をつく質問を聞いて桜子も緊張する。
「抱き合ってるところから」
(やっぱりだ。言い逃れもできない)
 瑛太も同じ気持ちなのか言葉が出てこない。
「真田さん、桜子さんが好きなんですか?」
 恐る恐る聞く椿に瑛太はしっかり立ち向かう。
「好きだ。初恋の人なんだ」
(瑛太君、そんなにハッキリ言い切るなんて……)
 言われた椿は今にも泣きそうな顔をしている。
「真田さんの気持ち、分かりました。私、東京に帰ります。真田さんとももう会いません」
「椿……、すまない。でも、お前はそれで良いのか?」
「ははっ、良いも悪いも桜子さんに勝てる訳がないでしょ? 私のみならず、全校生徒の憧れで二階堂財閥の令嬢。私にどうしろと? これ以上私を惨めにさせないで!」
 泣きながら椿は叫び、桜子も居た堪れない気持ちで立ちつくす。
「もう私に構わないで。真田さんも桜子さんも……」
 そう言うと椿はとぼとぼ川下へと歩いて行く。
「瑛太君、椿さんについて行ってあげて」
「え、でも」
「私が軽井沢に来た目的は達成できた。後は椿さんに向かい合って支えてほしい。私もできることがあればなんでもするから」
「じゃあ、東京に帰ることになってもいいのか?」
「構わない。瑛太君と気持ちが通じ合えただけで今は十分」
「俺はまだ抱きしめ足りないけどな」
(ホントは私ももっとラブラブしたいけど、今はまだ我慢しなきゃ)
 同じ想いと知り嬉しい気持ちが沸くが、表に出さないように耐える。
「いいから、早く行って。見失うわ」
「分かった。近いうちに携帯準備するから待っててくれ。受け渡し方法についても、いい案を考えておく」
「うん、楽しみにしとく」
 名残惜しそうな顔をして走り去って行く瑛太を、桜子は笑顔で見送る。寂しい想いもあるが今は両想いになれた嬉しさの方が勝っていた。
(本当にここに来て良かった。想いを告げられただけでなく、それが叶ってハグまでされるなんて。なんて幸せな日なんだろうか)
 胸に手を当てるとまだドキドキしており、抱きしめた感覚、抱きしめられた感覚が身体に残る。小さくなる瑛太の背中を、見えなくなるまで桜子は見つめていた――――


――夕方、別荘に戻り早めの夕食を取ると両親と共にリビングで団らんを取る。瑛太の母である久子とも気さくに話し、いつかお義母様と呼ぶ日が来るのかもと妄想してしまう。風呂を済ませ自室のベッドに横たわると、昼間の光景を思い浮かべる。
(ダメだ。昼のことが幸せ過ぎてにやけてしまう。親の前ではどうにか我慢できたけど、思い出すと頬がかなり緩んでしまう)
 瑛太との抱擁を思い出し、幸せの溜め息が溢れ出る。昨日までは会えるかどうかで悶々としていたレベルが、今ではいつ抱きしめてもらえるかの領域になっている。
 ずっと待っているとは言ったものの、一度溢れ出してしまった想いは止めることが出来ず、既に会いたい気持ちが胸の中にどんどん広がっていく。
(ヤバイな、まさかこんな気持ちになるなんて。ハグだけでここまでになるなんて、キスとかしたらどうなるんだろうか。こんな不安定でふわふわした気持ち、初めての経験だ)
 携帯電話を握って瑛太の電話番号を眺めるが、この番号から掛かってくることはないと思っている。通話記録が残るような下手なマネを瑛太がするとは思えない。
 こんな関係になったからこそ、今後はよりいっそうの注意と配慮が必要になってくる。綾乃に関係が知られてしまうと離れ離れにされることは必須で、最悪の場合一生会えないよう手を回しかねない。
(綾乃は私の人生を思うように操りたいと考えている。自分の認めた相手以外との交際は絶対に認めないだろう。仮に知られたとしたら私への監視は強化され、瑛太君へもなんらかのプレッシャーを与えにかかるに違いない。私たちの関係は絶対にバレてはいけないんだ)
 瑛太のことを想いつつ、綾乃への対応も同時に考える。月明かりが窓から差し込み、室内の桜子を照らす。壁に掛かる時計に目をやると午後八時を指している。綾乃は未だ別荘に現われる様子もなく桜子はホッとする。
 二階堂家の長女として婚姻の話が上がることも多い綾乃だが、見合いをしても必ず綾乃の方から断っていた。相手の家柄等は問題なく、何が気にくわなくて断っているかは定かでない。
 ただ、仕事と言いながらも夜遊びが好きで朝方に帰宅することも多く、単純に考えて真面目で真っ当なことをしているとは考えにくい。自分と違い自由奔放に行動している綾乃が羨ましくもあるが、その生き方は綾乃自身が桜子に語り教えてきたものとはかけ離れており美学に反する。
 心の中で綾乃を蔑んでいると、ベランダの扉を叩く音がし、警戒しながら観察する。暗がりですぐには分からなかったが、月明かりが照らすその顔は桜子がこの世で唯一求める男性だった。

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