二階堂桜子の美学
第三十話 支配

「瑛太君!? どうしたのこんな時間に? 誰かに見つかったらどうするの?」
「ごめん、かなり急ぎなんだ」
 言葉通り瑛太は肩で息をしている。扉を開け縁側に出ると桜子は問う。
「なにかあったの?」
「詳しく話す時間もない。桜子、今から俺と一緒に駆け落ちしてくれないか?」
 耳を疑うような瑛太の言葉に桜子は何も言えず固まってしまう。
「桜子!」
「えっ、ごめんなさい。いきなりそんなこと言われても困るよ。つまり、今までの私のキャリアも全て捨てろってことでしょ?」
「そうなるな」
(瑛太君のことは好きだし一緒に居たいけど、急すぎるしこんな重大な判断を今すぐだなんてできない)
「今、決断しなきゃダメ?」
「今すぐだ」
「ご、ごめん。それなら無理だよ。いくらなんでも理由も知らされず人生投げ打つなんてできない。ちゃんと理由を教えて欲しい」
「椿が綾乃さんと手を組んだんだ。意味わかるよな?」
 瑛太の言葉で事態の重大さを瞬時に悟る。
(つまり、私たちの関係が知られて、綾乃が私たちを引き裂くためにここに向っているということに……)
「椿を見失って探していたとき二人が話しているのを見たんだ。おそらく俺たちの関係を告げ口したと考えていいだろう。さあ桜子、一緒に行こう!」
 ベランダから差し出される右手を見て、衝動的に握ろうとするがプライドが邪魔して一歩踏みとどまってしまう。
(この手を取るということは、私が積み上げてきた全てを壊し放棄するということ。すなわち全てを無くすということに。本当にそれでいいのだろうか。今までの人生すら否定することに……)
 縁側で悩み立ち尽くしていると瑛太の方から手を握る。
「桜子、愛してる」
(瑛太君!)
「わ、私も、瑛太君のこと……」
 愛の告白を受けて気持ちが傾いた瞬間、縁側の瑛太が前のめりで倒れ込む。その背後には、いつの間にか身体の大きい男性が数人待ち構えており、木刀が手に握られていた。
「瑛太君!?」
 助けに寄ろうとすると桜子の背後から綾乃が現れ声を掛ける。
「桜子、止まりなさい」
 緊張しながら振り向くと。綾乃の横には椿も立っており、その背後にはベランダ同様屈強な容姿の男性も見られる。べランダと室内、完全に包囲網が出来ており桜子は不利な状況を察する。
「その者にそれ以上近づいてはダメ。貴女をたぶらかそうとしているのよ。冷静になりなさい」
「そんなことない! 瑛太君と私は想い合ってる」
「幻想ね。その男は二階堂家の財産を狙ってるにすぎない。下賎な身分の者よ」
「アンタに言われたくない! 十年前、隼人さんと不倫してたアンタなんかに」
「不倫? 隼人さんとのことは、お子様の貴女にはまだ理解できない話よ」
「よく言うわ、美学のかけらもない不倫女のくせに」
「椿さんの彼氏である瑛太君と抱き合っていた貴女には言われたくないわね。とにかく、貴女の付き合う相手は私が判断する。貴女は黙って私の言う事だけを聞いておけばいいのよ」
「私はアンタの操り人形じゃない。私は私の判断で生きて行く!」
 桜子の決意こもる言葉を綾乃は一笑に付する。
「そう、なら貴女の判断とやらを試してあげる。椿さん、貴女は部屋の外で待っていて」
 綾乃に言われ椿は大人しく部屋を後にする。退室すると綾乃はベランダの男達に近づく。
「さっき言ったようにやって頂戴」
 指示を出すと男達はベランダに倒れる瑛太を全員で蹴り始める。瑛太の口からは血へどが流れ苦悶の表情だ。
「な、何してるの!? 止めて!」
 近づく桜子を一人の男が羽交い絞めにして制止させる。抵抗を試みるもあまりの体格差で身動きが取れない。
「放して! 瑛太君が死んじゃう!」
「何やってるの桜子? 早く助けてあげないと貴女の愛しの瑛太君が死んじゃうわよ?」
「綾乃! 止めさせて!」
「いいわよ。ただし、瑛太君に生涯二度と会わないって条件を飲むなら、ね」
(そんな!)
 黙りこむ桜子を見て綾乃は声を上げる。
「もっと激しく蹴りなさい! 殺しても構わないわ!」
「やめて! 聞きます! 言う事聞きます!」
「それでは分からないわ。ちゃんと言葉にしなさい」
「に、二度と、瑛太君には……」
 口ごもる桜子を見て綾乃は口を開く。
「貴方たち、蹴り殺していいわよ」
(綾乃!?)
「瑛太君に一生会いません!」
「それが貴女の判断よね?」
「はい……」
「もし約束破ったら……、この先は言わせないでね?」
「はい……」
 涙を流しながら力なく崩れる桜子を見ると、男たちは瑛太を担ぎベランダから中庭へと去って行く。二人きりになると、綾乃は荒々しく桜子の髪を掴み顔を近づける。
「二度と私に逆らうな。貴女は私の言うことだけ聞いとけばいいんだ」
 髪を引っ張り桜子を床に投げつけると綾乃は悠然と部屋を後にする。桜子は涙を流しながらも魂が抜けたように倒れ込む。ボロボロになった桜子の姿を廊下から見た椿は、真っ青な顔でその光景を眺めていた。

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