イジワル御曹司に愛されています
ロビーに戻ったら、一面ガラス張りの窓の向こうが白く煙っていた。いきなりの雨だ。

しばし呆然と立ち尽くし、私は都筑くんに向き直った。


「あの、待ってて。ここで、このまま待っててね」

「え」


再びガラスドアをくぐり、自分のオフィスまで全速力で走る。4センチほどの他愛もないヒールが、硬質な床を無遠慮に鳴らす。

急いで取って返すと、都筑くんは言われた通り、さっき見たままの場所に、変わらぬ姿で立っていた。


「これ、使って」


置き傘にしているビニール傘だ。差し出した瞬間、けっこうな年季の入り方なのに気がついて、赤面する。


「ごめんなさい、こんなので。返さなくていいよ」

「ていうか、そもそも俺、折り畳み持ってる」

「ええ…!」


あまりの恥ずかしさに泣きそうになった私の手から、彼が傘を受け取り、黄ばみかけた透明なビニールをしげしげと眺めた。


「この仕事してたら、標準装備だぜ」

「あのっ、じゃあ、いいよ、そんなみすぼらしいの使わないで」

「いや、借りてく。これ差して帰る」


満足そうに傘を振ると、真っ赤であろう私の顔を見て笑った。


「で、返しに来る」

「いいよ、いいよ、捨てちゃって」

「こんなボロいの、いらねーもん」

「ごめんなさい、ほんと…!」


でも、結局使ってくれるんなら、折り畳み傘を持っているって話、わざわざしなくてもよかったと思うんですけど、どうでしょう!

そんな私の心の叫びなんて見透かしたように、都筑くんはにやりと笑って。


「またな」


それだけ言うと、エントランスの自動ドアを抜け、雨の中に出ていった。

ビニール傘を差して歩く後ろ姿。途方に暮れた気分で、窓越しにそれを見送る。

あれ…。これ、なにが始まるの?

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