イジワル御曹司に愛されています
「あの、ごめ」


いや、これはダメなんだった。えーと、ええと…。

言葉を探しておろおろしていたら、ふっと吹き出す音が聞こえ、そちらを見て目を疑った。

都筑くんが笑っている。それも静かに、優しく、楽しそうに。


「変わってないな、千野」


なんの含みもない声。そんなふうに、”千野”なんて呼んでもらったことが、はたしてあっただろうか。

…都筑くんは、変わったね。まるで別人。


「私、変わってない?」

「そう。いつもこういう感じで」


言いながら、両手で視野が両目の幅しかないことを示す仕草をする。

ううっ…。


「なんかいつも、脇目も振らず歩いてて、たまに独り言漏れてて」

「やめてよ!」

「見た目もだけど、頭ん中までまじめなんだろうなあって思ってた。こういう仕事してるってことは、理系?」

「あの、環境科学っていう、文理融合の学部に文系受験して入って。専攻決めるときに理系の学科に進んだの」

「どんな」

「動物生態学っていう…今の仕事にまあまあつながる部分だと、たとえばダムを造ったときの、川底の生態系の変化とか」


今度は勝手に話し込む前に、都筑くんの様子を確認するのを忘れずに済んだ。

口元を微笑ませながら聞いている。


「…こんな話、楽しい?」

「楽しいよ」

「この仕事って、ずっと都筑くんが担当するの?」


そんなつもりじゃなかったのだけれど、彼はそれを、私が気乗りせずにいるメッセージだと受け取ったようだった。

申し訳なさそうに小さく笑って「そうだよ」とうなずく。


「お前は嫌だろうけど」

「あっ、ええと、そういう意味じゃ…」

「でも俺は今、けっこう、会えて嬉しい」


…なんでそこで、そっぽを向くの。

ふいと目をそらしてそんなことを言う都筑くんの、表情は変わらず柔らかい。

激しい困惑と、単純すぎるでしょ、と言いたくなるほど逸る胸に振り回され、ひとりで動転する私に、彼が控えめに笑いかけた。


「俺、行くわ」
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