イジワル御曹司に愛されています
すらっとしたスーツ姿が、ガラスドアの前で振り返る。


「後任が決まりましたら、一緒にご挨拶に参ります」


礼儀正しく微笑んだ都筑くんの視線が、初めて私に落ちた。目が合った。けれどなにも言ってはくれない。


「こちらで失礼します」


外まで見送りに出ようとした私たちを控えめに手で制して、都筑くんは一礼すると出ていった。呆然とそれを見ていた私に、松原さんが声をかける。


「僕、先戻ってるから」

「え」


意味ありげににこっと笑ってみせ、フロアのほうへ戻っていく。私は一瞬考え、外に飛び出した。


「都筑くん」


どこかに電話をかけようとしていた彼が、携帯を耳に当てて振り返る。


「あっ、ごめん、あの、済ませちゃって」

「留守電聞いてただけだから、いいよ。どうした」

「あの」


私を連れて駅まで行くわけにいかないと考えたんだろう、都筑くんは足を止めてくれた。大通りから少し入った、静かな路地の片隅。


「…家の事情って」


都筑くんが私を見下ろし、小さく息をつく。


「なんか、あんな説明しかできなくて申し訳なかったな。嘘じゃないんだけど」

「もしかして、お父さんの会社に入るの?」

「うん」


それなら、いいことでもあるんじゃないの。親族のいる会社に入って、未来もちょっと保証された中で、安心して働けたりするんじゃないの。

けれど、都筑くんの表情は硬い。


「ごめんな、最後まで手伝ってやれなくて」

「そんな、私は…大丈夫」

「まあ、残りの期間もこれまで通り、たまには顔出すよ」


でも、それが終わったら会えなくなる。これまでみたいに、定期的に電話をくれたり、相談に乗ってくれたり、そういうことは、もうなくなる。

黙ってしまった私に、にこりと笑んで。


「千野と仕事するの、楽しかった。じゃあな」


それだけ言うと、都筑くんは行ってしまった。

私は行き場のない気持ちを抱えて、その場から動けずにいた。

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