危険地帯




『待ってくれ!』



お父さんのすがるような声と共に、背を向けたお母さんはこの家から去っていった。


バタン……と、扉が閉じた音が虚しく響く。


バイオリンを弾けなくなったあの日から最後まで、お母さんは私に笑顔を見せてはくれなかった。



お母さんは、私とお父さんを捨てたんだ。


私は泣きそうになったが。



『っ、』



私の隣で、私よりも先に、大粒の涙をこぼすお父さんを見たら、泣けなかった。


泣いたらダメだと思った。


ごしごしと、強めに目をこすって涙を拭う。



『……どうしてこんなことに、なってしまったんだ』



嗚咽を漏らしながら、そう呟いたお父さんの瞳には、去っていったお母さんと同じように、私の姿は映っていなかった。


私は確かにここにいるのに。



< 380 / 497 >

この作品をシェア

pagetop