危険地帯
『待ってくれ!』
お父さんのすがるような声と共に、背を向けたお母さんはこの家から去っていった。
バタン……と、扉が閉じた音が虚しく響く。
バイオリンを弾けなくなったあの日から最後まで、お母さんは私に笑顔を見せてはくれなかった。
お母さんは、私とお父さんを捨てたんだ。
私は泣きそうになったが。
『っ、』
私の隣で、私よりも先に、大粒の涙をこぼすお父さんを見たら、泣けなかった。
泣いたらダメだと思った。
ごしごしと、強めに目をこすって涙を拭う。
『……どうしてこんなことに、なってしまったんだ』
嗚咽を漏らしながら、そう呟いたお父さんの瞳には、去っていったお母さんと同じように、私の姿は映っていなかった。
私は確かにここにいるのに。