世界が終わる音を聴いた

ピアノに赤い薔薇を一輪手向けると、シキさんはこちらへとやって来た。

「兄さん、女同士の話だよ。席外して」

すっと目を細めてシキさんはオーナーに言う。
オーナーは無言で頷いて、厨房へと戻る。
それを確認してからシキさんはその髪と同じ、漆黒の瞳で私をじっと見つめる。
ああまるで人形のようだ、と思う。
けれど、自らの意志と深い想いを底に秘めた強さは、人形ではなく、間違いなく生身の人間のそれだ。

「私ね、……自分の兄に恋をしていたの」

唐突に語られた言葉は、私を驚かすのに十分だった。
其からシキさんはふわりと表情を緩めて、言葉を続けた。

「初めから兄だと知っていた訳じゃないのよ?私は知らずのうちに恋をしていたのね……。実の兄だと知ったときには遅かった。仕方がないわね、それが恋というものだから」

寂しさを浮かべて続く言葉が、私の胸を締め付ける。
『それが恋というものだから』その言葉に、込み上げるものをグッと飲み込こむ。
シキさんの視線が、そっとピアノへと向かう。

「聞いたことある?“season”って、ユニット名だったんだけどね。兄が……、俊二が付けたんだけど、単純でしょ?」

そうやって優しく切なく寂しく微笑むのに、この人はどれだけの時間が必要だったのだろう。
少なくとも、私が初めて会ったシキさんは、その顔に表情らしきものを乗せたことがなかったように思う。


―――俊二さんは、今ここに居ない。
オーナーは俊という名前だし、弟さんは俊平だったと記憶している。
どうやらあまりに複雑な事情を抱えている。
それをシキさんはなぜ、今、私に話してくれているのか。

“season”という名前は、ストリートでも聞いたことのある名前だった。
このカフェ&バーにで歌う、男女のデュオ。
男性ピアニストの音に乗せて紡がれる、味わい深い女性のメゾソプラノ。
オリジナルは数曲しかないけれど、カバーはジャンルを問わずしっかりとアレンジを加えてオリジナルとはまた違う響きで曲を味わうことができると。
けれど、パタリと“season”は姿を消した。
それがちょうど、私がここを初めて訪れた時だ。
何故かは分からない。
それはもしかしたら、いつもピアノに手向けられている赤い薔薇が理由かもしれない。


視線を戻したシキさんは、私の手を取り、両手で包み込んだ。


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