世界が終わる音を聴いた

“幸せになってね”

それは共に闘ってほしいと言うわりに、突き放した言葉だ。
だってそこに、それを言った本人は居ないのだから。
最期を意識した言葉。
すべての言葉はきっと本心であって、本心じゃなく。
人の心は単純ではなく複雑で、どれもが本当で、それを肯定するとどれもが嘘のようになる。

幸せになってね、この手を離さないで、幸せになりたい、いつかあなたを幸せにしたかった。
共に生きたい――……

心に深く刻まれる、魂を宿すその言葉はまるで呪縛のようだ。
どこまでも心を捉えられたまま。



だから3年前に、学くんが菜々美さんを連れてきた事に対して、驚きを覚えたのだ。
この先もその心にヒナちゃんが居続けると思っていたから。

そしてそれを知ったとき、私は胸の奥に小さな痛みを覚えた。
けれど当時の私はもう花守さんと付き合っていたし、そんな痛みは無視をして知らないふりをした。
人生で付き合った人は、花守さんひとりで、私は彼に誠実でいたかった。
心がコントロールできるのならば、人を好きになることさえも制御できるはずだけど、結局は当たり前に人の心っていうのはコントロールなどできなくて。
後になってそれに気づくんだ。

ヒナちゃんを亡くしてからの学くんを見ていた。
同じ会社で過ごしていたし、少しずつ前を向いていく学くんを追っていた。
その影にはきっと、菜々美さんが居たのだと今にして思う。





「ありがとうございました。長居してもなんなので、そろそろ行きますね」
「ありがとうございました」

ふたり並んで席を立つ、然り気無く菜々美さんの体を気遣う様子は優しい旦那さんの顔だ。

「また、来年お邪魔します」
「……赤ちゃんも生まれるんだから、もう無理しないで良いのよ?」
「いえ、無理はしてないですけど。じゃあ、約束するのはやめておきます」
「そうね。来たいときには来てくれても構わないけれど、約束をしてしまうと、きっと辛くなってしまうから。義務にはしないでおきましょう」
「はい。じゃあ」

玄関先で見送ると、それだけでじりじりと太陽が照りつける。
ジー、ジーと鳴く蝉がまだ終わらない夏を告げていた。


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