忘れたはずの恋

「…いいんですか？」

そっと吉田総括が耳打ちした。

「このままで良いはずがないでしょう？」

私はゆっくりと頷く。

また目から涙が溢れる。

藤野君の後ろ姿が滲んだ。

「後悔したくないならいい加減、自分の殻を破ってみてはどうです？
しないまま後悔するなら挑戦して後悔する方が絶対に良い」

吉田総括は私の左肩を軽く叩いた。

右手で涙を拭う。



「藤野君！」

精一杯、その名前を呼んでみる。

藤野君はまるでスロー映像のようにゆっくりと振り返った。

どこか冷めたような顔付きで一瞬、背中にゾクッとしたものを感じる。

深呼吸をして、私はゆっくりと藤野君の隣に歩いていった。

彼の隣に、こんな近くに立つのは久しぶりのような気がする。

…あ、そうでもないか。

前、家に送って貰った時に並んで歩いたっけ。

「藤野君、ごめんなさい」

私は頭を下げた。

「えっ…？」

困惑した声が頭の上で聞こえる。
頭を上げても顔を上げるのは無理。
藤野君に面と向かっては言えない。

俯いたまま続ける。

「本当にごめんなさい。
無理な賭けをさせてしまった。
怪我は？」

フフッ、と笑う声が洩れる。

「大丈夫です。
ありがとうございます」

「そ…そう、それは良かった」

いやいや、良くない。

私の言いたい事、これっぽっちも言えていない。

「あ…あのね」

イマドキの中学生でもこんなオドオドはしないだろう〜！

しっかりしろ、私！

「職場で一人の部下として、なんて見られない」

手のひらをギュッ、と握り締めた。

「みんなと一緒には見られない。
無理、絶対に無理！」

顔を上げると藤野君は目を丸くしてポカンと口を開けていた。

「またここで藤野君が走るのを見たい。
ただの観客ではなく、特別な…関係でいたい」

そう言うのが精一杯。

藤野君は私の目をじっと見つめていた。



しばらくして。



「…賭けに負けました。
だから無理です」

淡々と藤野君は答えた。