忘れたはずの恋
リビングに戻ったのは0時半を過ぎていた。

早希子さんは眠そうな顔を一つせず、僕を待っていた。

真菜と一緒に3人で寝たら良いのだが、早希子さんが僕と話をしたい時は絶対に寝室には入らない。

まだ真菜が小さい時、一緒に寝室へ行けば気がつけば朝。

早希子さんは家事、育児で。

僕は仕事で疲れ果ててしまって会話らしい会話をする事がなかったから。

「真菜、お父さん大好きだねえ」

そんな上目使い、止めてください。

「早希子さんは真菜に嫉妬、ですか?」

時々、早希子さんに敬語を使うのは職場の癖。

「…真菜には敵わないし」

苦笑いをするその顔も僕からすれば大好きです。

「で、藤野君はどうなの?」

「どの意味で?勤務態度?恋愛?それともライダーとして?」

「…全部。
だって、何となく彼って一偉と重なって見えるから。
彼の仕事も気になるし、年上との恋愛も。
あと…レースも」



うん、僕も気になって仕方がない。

藤野は僕の過去をどうやら今のチームの人に聞いたらしく、それからは事あるごとに僕の所へやって来る。
表向きはただの二輪レースファン。

でも、僕は。

藤野と同じような年齢の時、必死にサーキットを走っていたんだ。

だから色々と、知っている事もある。

藤野の存在ももちろん知っていたし、同じ職場になるという事に手が震えた。

どう扱おうか悩んでいたが、藤野はいつも謙虚で素直だった。

「一偉、もし…。
事故に遭わなければ今でも続けてた?」

難しい質問をするね。

「さあ…。どうだろう」

自分の右足を見つめる。

膝と足首には未だに消えない傷が残っている。

サーキットでのテスト走行。
転倒した理由は今でもわからない。

気が付けば病院の一室にいた。

何度も手術をして、リハビリもして何とか今は普通にしていられるけれど。

それでももう、サーキットを走行出来ないという喪失感は消えない。

その事故で、郵便配達も出来なくなって内務へ配置転換となった。

が。

そのお陰で早希子さんと仲良くなれたから悪い事ばかりじゃない。

「藤野は仕事に対しては真面目だし、飲み込みが早いです。
恋愛は…年上女性が逃げてます。
誰かさんと一緒」

僕は早希子さんを指差す。

「そりゃ、戸惑うわよ」

早希子さんの小さな可愛らしい手が僕の頬を軽くつねった。

「周りはそんな歳の差、気持ち悪いとか言うし」

そう。

付き合い始めた頃、周りの人間は皆そう言っていた。

『そんな年増、よく好きになれるな』

当時の上司に平気で言われた。

また早希子さんも色々と言われていた。

だから、僕は半年で早希子さんと結婚を決めたんだ。

僕、23歳。

早希子さん、33歳。

結婚してしまえば誰も何も言わなくなる、そう思った。

確かに表向きは言われなくなったけど。

僕達は中々子供が出来なかったから、ヒソヒソと悪口を言われていた。

今は周りも慣れたのかそんな事は言われなくなったけど。

「じゃあ、ライダーとしては?」

早希子さん、最初はバイクなんてとんでもない!

そう、今の吉永さんと同じような感じだったのに。

僕に影響されて今は一人前にメーカーやライダーの事を批評したり、話してくれる。

藤野の事ももちろん。



僕は大きく深呼吸をした。

「…羨ましいよ、藤野は。
僕が失ったものを全て持っているから」
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