イジワルな彼に今日も狙われているんです。
「……木下」



名前を呼ばれて小さく肩が震える。

おそるおそる視線を上げた先で、驚くほど真顔の尾形さんと目が合った。

その表情が予想外だった私は、どくんと心臓をはねさせる。



「木下。……そっち、行ってもいい?」



やけに真剣なその表情のまま、尾形さんがささやくように訊ねてくる。

そっち、というのは、たぶん私がいる座席の空いた右側のスペースのことなのだろう。

それは理解できてるはずなのに、頭が真っ白になって言葉に詰まる。

一拍遅れて、かあっと頬に熱が集まった。



「え……あの……」



無意識にひざの上の手をもぞもぞと動かす。

どうしよう。向かい合ってる今のこの距離だって、近いと思ってるのに。これ以上尾形さんと近付いたら、ドキドキしすぎて心臓持たない気がする。

……でも。


結局言葉にして伝えることはできず、けれども私は肯定の意味でこくりと小さくうなずいた。

うつむく私の耳に、尾形さんが動いた衣擦れの音が届く。すぐに自分の右隣りへ、彼が腰をおろしたのがわかった。

予想してたけど、やっぱりすごく近い。身体の中にくすぶる熱を少しでも逃がしたくて、ほう、とひとつ息をついた。


すると私の頭上で、尾形さんが小さく笑う気配がする。



「木下、すごい緊張してる。そんな固くなんなくても」

「っだ、誰の……っ」



せいですか、と続けるはずの言葉は、声にならなかった。

どうやら尾形さんは、身体をこちらに向けて私の顔を覗き込むようにしていたらしい。反射的に上向かせてしまった顔がびっくりするほど近くて、思わず硬直する。

私をまっすぐに見つめるヘーゼル色の瞳に、吸い込まれてしまいそう。
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