好き ということ。
◆ 変わらない心 ・・・
椅子をはね飛ばし、私は科学室を飛び出した。階段を一気に駆け下り、グランドに向かう。外に出ると、校舎とグランドの間にある木陰へと智洋が運ばれている最中だった。
大丈夫なのか、智洋の状態が気になって仕方がない。しかし、陸上部員たちが集まる場所に行く事もできず、少し離れた場所から様子をうかがうしかなかった。
「智洋・・・」
祈るように胸の前で両手を組み、陸上部員たちの間から必死で覗き込む。そんな私に気付いた桐山が、こちらに向かって走ってきた。
「ねえ、いったい、どうして?どうなってるの?」
目の前に止まった桐山は、曇った表情のままで答え始めた。
「普通に長している途中で、突然こう・・・前のめりに倒れたんだ」
そう言って、実際に起きた様子を再現する。
「一緒に走ってたけど、別に何かにつまづいたって感じでもなかったし、なんでだろうな。オレにはよく分かんねえ・・・でもまあ、意識はハッキリしてるし、どっか具合が悪いって感じではないな」
その時、校舎から出てきた人物が、私の横を通り過ぎて行った。先日散々お世話になった、保険室の先生だ。
「よし、お前らは練習に戻れ!!」
保健室の先生が到着すると同時に、陸上部の顧問である体育教師が指示を出した。智洋を中心に形成されていた輪が、バラバラと崩れていく。
陸上部員たちが練習に戻ったあと、桐山は私を連れて智洋の元に移動した。木陰に寝かされた状態で、保健室の先生と話しをしている。その様子を見て、ひとまず安堵する。
「まあ、とりあえず大丈夫だとは思うけど・・・」
保健室の先生が私の存在を目で確認し、話しを続ける。
「手もつかず前のめりに倒れた訳だし、一応病院には行って、結果、を私に報告するようにね」
「分かったな、藤井」
保健室の先生の指示を受け、顧問の先生が同様の指示を出す。
「オーバーな」
「行くまでは部活への参加は禁止だ」
「・・・はい」
しぶしぶ返事をする智洋が、少し可愛く見えた。
保健室の先生は、もう用事は済んだとばかりに、校舎側に立つ私の方向に歩き始めた。そして、私の横を通り過ぎる時に立ち止まり、周囲に聞こえないように耳打ちする。
「何があったのか知らないけど、かなり寝不足みたいよ。先生という立場では関係ない事だけど・・・
でも、女という立場からアドバイスをすとね、近ければ近いほど、本当の大きさは見えない──そういうものよ」
先生は再び歩き始め、振り返らずに右手を振った。
「じゃあ藤井、今日は先生が自宅まで送ってやるから、部活が終わるまでそこで休んでろ。保健室で寝ておきたければ、それでも構わないぞ」
「いえ、ここで大丈夫です」
「よし」
そう言うと、顧問の先生は陸上部員たちが練習するグランドに向かう。そして、私と並んで立つ桐山にも声を掛ける。
「桐山、お前も直ぐ来い。練習再開するぞ!!」
「へーい」
気のない返事をする桐山。そんな桐山も、智洋から離れてグランドに向かう。
「じゃあな智洋。志田、後は任せた!!」
桐山がグランドに戻って行ったのを確認して、もう一歩智洋に近付き膝を折る。保健室の先生の話しを聞いたあとなので、気持ちは随分と落ち着いている。
「大丈夫なの?」
芝生の上に寝かされている智洋の顔を覗き込む。近くで見ると、転び方が悪かった事がよく分かる。鼻の頭が赤く擦り切れていた。
「うん」
短い返事。ムリヤリ笑顔を作り、私を安心させようとしている事が分かる。そうしているのに、何度も容態を聞く気にはなれない。
「よっと・・・」
私は智洋の横に腰を下ろした。智洋は一瞬私を見たものの、視線をグランドに移す。私もそれにならう。
こういう事態にも関わらず、私の心は凪いだ海のように穏やかになっていた。最近、ゆっくり智洋と一緒にいる時間が無かった事に気付く。
夏の残り香を乗せた風が吹き抜ける。
周囲の木々がサラサラと葉を鳴らす。
遠くに聞こえる声、近くで聞こえる吐息。
木漏れ日にユラユラと照らされる智洋が、何だか天使に見えた。
翌日、智洋は学校に来なかった。
昨日の部活が終わったあと、顧問の先生に再度強く「明日、病院に行っておけ」と指示されていた。夜に届いたメールにも、「今日午前中に病院に行ってくる」と書かれていた。どうやら、顧問の先生から、直接智洋の親にも連絡があったらしい。
「午前中だけだって言ってたのに・・・」
美優とともに昼食をとりながら、主のいない智洋の席を見る。
「まあ、総合病院とか行ったら、午前中いっぱいはかかるし。最悪、部活だけ参加って事もあるかもね」
「部活だけ・・・マジであるかも」
箸を止め、目が合った美優と笑う。
笑ってはいても、カラ元気の作り笑いでしかない。
まさか、マンガやドラマのように、「死の病」なんて事はないだろうが、ハッキリしないと心から安心なんてできない。
智洋が来ないまま放課後になった。
「連絡ないの?」
「・・・ない」
いつものように科学室の窓から、いつもと違いグランドを凝視しながら、美優に応える。
カバンに潜ませているスマートフォンを見るが、智洋からの連絡は一切無い。何も無いと分かってはいても、悪い事ばかりが頭を過ぎり、どんどん不安になってくる。
「涼太君かっこいい」とつぶやきながら陸上部の練習を見詰めていた美優が振り返り、私を見てギョッとする。そして、私の肩に手を置いて笑顔を見せる。
「大丈夫、大丈夫。もう、泣かなくても・・・」
「は?何言ってんの?こんな事で泣くわけないじゃん。
泣くわけが・・・あれ?」
気が付くづと、あふれ出た涙がポタポタと制服のスカートに落ちていた。
ああ、もう・・・最近、泣いてばかりだ。
美優に肩を抱かれ頭を撫でられると、一気に感情が崩壊する。
智洋からの連絡が無い事だけではなく、桐山への想い、智洋の想い、いろいろな事が思い出され自己嫌悪とともに何もかも分からなくなった。込み上げてくる感情を抑える事ができなくなり、声を出して泣いた。
「心配だよね。うん・・・」
自分も涙声になりながら、優しく語りかけてくる美優。
そうじゃない。
そうじゃない!!
これは、自分のための涙だ。
私は顔を上げ、ハンカチを取り出して目に当てる。
「大丈夫」
泣いてはいけない。
本気で心配してくれている美優に申し訳がない。
美優の両肩をつかんで、ゆっくりと距離を空ける。そして、情けない表情の美優に、最高傑作であろう作り笑いを見せる。
「大丈夫」
その後、落ち着きを取り戻した私は、美優とともに最後まで陸上部の練習を見ていた。しかし、結局、智洋が学校に来ることはなかった。
しかし、それだけでは終わらなかった。
その夜も、土曜日も、そして日曜日も部活に参加するどころか、電話には出ない、メールにも無反応だった。
当然、いつか読んだウェブ小説のような、悪い事ばかりが脳裏を過ぎった。ドンドン情緒が不安定になり、テレビコマーシャルを見ていても涙ぐんでくる有り様だった。
他の事が何も考えられなくて智洋一色の時間は、付き合い始めた頃以来だ。
「近すぎると見えない・・・か」
不意に思い出した言葉に、思考が収束していった。