好き ということ。
◆ 一方的な別れ ・・・
そのまま平穏な時間が過ぎていき、金曜日が訪れた。
長く続いた晴天が終わり、珍しく朝から曇天だった。残暑が厳しい日々だったが、朝から少し肌寒い。本来ならば、このくらいの気温が普通なのかも知れない。
「今日、昼から雨らしいね」
「マジで?傘持ってきてないし」
いつも通り、並んで金網越しにグランドを凝視している美優が言う。そう言えば、昨夜見た天気予報でそんな事を言っていた気がする。
「まあ、冬優花の場合、ふじぴーが持って来てたら問題ないよねー」
「うん、まあそうかな」
他愛もない会話をしながら金網から手を放し、一緒に教室に向かう。
先週はいろいろな事があったが、葵はすっかり大人しくなったし、智洋も特に調子が悪いという感じはない。確かに桐山の事は解決していないが、このまま少しずつ想いを消しておけばいい。そう思うようになった。
明かしてはいけない想い。
決して届く事がない気持ち。
時間が解決するのかも知れない。
本当の心に気付く時が来るのかも知れない。
でも、私は桐山の幸せを願い続ける。
「おーす!!」
いつも通り教室に入って来た桐山と違い、智洋は少し違って見えた。
静かに入って来たかと思うと扉付近で立ち止まり、感慨深そうに教室を見渡した。
その姿に、どういうわけか胸が締め付けられた。キュッと苦しくなり、声を掛ける事ができなかった。
「おはよう」
自分の席にカバンを置いたあと、智洋がこちらに歩いて来た。
「どうかしたの?」
なにげない質問。特に意味は無かったが、つい口を突いて出てきた。
「何が?」
意味が分からないといった様子で、キョトンとした表情で首を傾げている。それはそうだ。自分でもよく分からない問い掛けだった。
「ううん」
「なに?まだ脳ミソが寝てるんじゃないの?というか、朝の味噌汁になってるとか。ハハハ」
「味噌汁とか・・・オヤジギャグレベルかっ!!」
ニヤニヤしながら顔を近付けてくる智洋に、グーパンチを食らわした。
しかし、智洋の行動は、やはりいつもとは違っていた。
授業中、どうしても視界に入る桐山の背中を、つい目の端で追っていた。それは、たぶん、私を注視している人がいれば簡単に分かったはずだ。そういう自覚はあったが、席は一番後ろだし、そもそも私を見ている人なんていない。
いや、一人だけいる。
何気なく横を見ると、ノートを取る様子もない智洋がこっちを向いていた。少し動揺したが、智洋はニコッと笑って何かを投げてきた。それはノートの切れ端。
机の少し先に落ちたそれを、先生が板書きしている隙に手を伸ばして拾う。ノート4分の1くらいの大きさの切れ端に、こう書いてあった。
「よそ見すんなよ」
顔が真っ青になったのが自分でも分かった。おそるおそる顔を上げると、智洋は声を出さないように、クツクツと笑っていた。
覚悟をしていたが、休憩時間になっても智洋が何か言ってくる事はなかった。もはや周知の事実とはいえ、かなり落ち込む。
そのまま過ぎ行く日常。
ただただ、何となく流れて行く。
永遠とも思える時間が、静かに、静かに終わりを迎えようとしていた事に、私が気付くはずがなかった。
5時間目が始まった頃、乾いたグランドに黒い斑点がつき始めた。
それは勢い良く数を増やしていくと、激しい音とともにグランドを真っ黒に染め尽くし、あっという間に水たまりを作っていった。
「うわ、スゲエ雨」
「ヤベ、傘持って来てねえわ」
「天気予報当たるなんて久しぶり」
教室のアチラコチラで、窓の外を眺めながら声が上がる。大雨洪水警報が出ているかも知れない。それほどに強い雨だった。
この雨だと、今日は部活が休みかも知れない。
陸上部は雨の場合でも、構わず濡れながら走る。なんて事もあるが、これだけ激しい雨ともなると、そういうわけにもいかない。すぐにPTAだの保護者会だのが、教育委員会に報告するからだ。
今日は久しぶりに、智洋とゆっくりできるかも知れない。最近は大会が近いのか、智洋が熱心に走り込み、あまり一緒にいられる時間が無い。
振り返ると、智洋は焦点が合わない様子で、ボンヤリと外を眺めていた。
放課後、私の予想通り、陸上部は休みになった。
雨は激しさを増し、グランドは海のようになっている。これでは、走りたくても走りようがない。担任の先生によると、「大雨洪水警報が発令されているので、急用が無い限りは真っ直ぐ家に帰るように」らしい。
「冬優花、チョットいいか?」
ショートホームルームが終わったあと、智洋が声を掛けてきた。私の中では決定事項だったので、迷う事もなく返事をする。
「うん。あのさ、傘忘れたんだけど・・・」
「チョット来て」
いつもと様子が違う。
その雰囲気に気圧されながら、コクリとうなずいた。
移動したのは、いつかの非常階段の踊り場。吹き付ける風に流された雨で、少しずつ制服が濡れていく。雨が降っているためか、非常階段を利用する生徒はいない。
智洋は自分から読んでおきながら、虚空を見詰めたまま動かない。
その様子に緊張感が漂う。自分から口を開いてはいけない気がして、智洋が話し始めるまで待つ事にした。
悪い予感しかしない。
でも、まさか・・・そんな事があるはずがない。
「もう・・・限界だ」
智洋が重い口を開く。
視線は虚空を見詰めたままで。
「冬優花、お前、今でも涼太が好きだろ。
もう、ウンザリなんだ。
いつもいつも、授業中に涼太の方ばかり見て、ノートもろくに取ってないだろ。おまけに、陸上部の練習見てる時も、オレより涼太ばかり目で追ってるだろ。
もう、我慢も限界だ」
突然告げられた内容に絶句する。
一瞬で目の前が真っ暗になる。
何も言い返す事ができない。
全てが真実だった。
「で、でも・・・」
智洋が左右に首を振る。
「言ったろ。もう限界なんだ。
ずっと我慢してきたけど、これ以上は許す事ができない。
オレにもプライドがあるんだ。これ以上バカにされたまま、一緒にいる事はできない」
「待っ・・・て。ちょっと待って」
最後の一言を言わせる前に、話しを切る。
切ろうと一生懸命に言葉を挟む。
しかし、その瞬間を止める事はできなかった。
虚空を見詰めていた智洋の視線がゆっくり移動し、正面から私を見据える。
「オレたち、もう別れよう」
足先から膝へと、徐々に震えてくる。
足に力が入らない。
呼吸ができず、上手く言葉を吐き出す事ができない。
分かっている。
悪いのは全て自分自身だ。
智洋の想いに甘え、智洋を傷付けてきた。
当然の報いだ。
智洋の優しさに許され、智洋を裏切った。
必然の結果だ。
でも・・・
それでも、どんなに情けなくても、泣いてすがっても、智洋から離れるわけにはいかない。
今更だけど、今なら分かる。
会えない三日間が、この一週間が教えてくれた。
確かに、桐山の事は気になる。でもあれは、「好きイコール愛」ではなく、「好きイコール憧れ」に近い。決して、愛情でない。芸能人に対するアレだ。
それが証拠に、仮に桐山がいなくなったとしても、私の心は揺るがない。自分を見失う事などない。
そう・・・
いなくなった時に、狂おしいほどに会いたい。
今どこにいて、何をしているのか、気になって気になって、変になりそうになる相手は智洋しかいない。
この想いを智洋は知らない。
智洋に伝えるんだ。
泣いて、すがって、私の想いを伝えれば、智洋も別れるなんて言葉を取り消すに違いない。
そうだ、そうに違いない。
鉄扉のきしむ音で我に返ると、智洋が廊下に戻ろうとしているところだった。私は慌てて走り出して、智洋と鉄扉の間に身体を差し込んだ。
「ちょと、ちょっとだけ待って。お願い!!」
力が抜け落ちたような智洋の目に、再び冷たい光が宿る。その冷淡な目が私をとらえた。
「お願い、別れるなんて言わないで。
もう、桐山の事なんて見ない。
ずっと、これから先ずっと・・・
死ぬまで智洋だけを見るから、だから!!」
「・・・どけ」
「いや」
「どけ」
「いや」
「どけよ!!」
「いやよ!!」
視線がぶつかる。
その瞬間、智洋の目が蒼く染まった。
それは、果てしない哀しみの色。
そして、悲恋そのもの・・・
「頼むから、そこをどいてくれ。そして・・・」
智洋の手が私の肩に掛かる。そして、今までとは違う強い力で引っ張られた。私は抵抗する事もできず、そのまま雨で濡れた踊り場に横倒しになった。
「涼太と幸せになれ」
その言葉とともに、ギギィときしみながら重い鉄扉が閉まった。それは、自分と智洋の間にできた壁のように、冷たく行く手を塞いでいた。
目の前が真っ暗になった。
文字通り、未来がまったく見えなくなった。
傘に入れてもらう?
バカみたい。
もう、ズブ濡れだ。
バカみたい。
手が届かなくなって、初めて分かるなんて。
恋愛小説や少女マンガの主人公。彼女たちのセリフを読んで、鼻で笑っていた。
「無くした時に初めて分かる」
そんな事、絶対にあり得ないと思っていた。
大事なモノはすべて目の前にあるし、決して見えないなんて事はないと信じてきた。
先日、保健室の先生に言われた事をまた思い出す。
本当にそうだった。
思い出したように涙があふれてくる。
いい感じに頭の先からズブ濡れで、泣いているなんて誰にも分からない。
良かった、誰にも気付かれない。
泣き声も、雨音がかき消してくれる。
声を出して泣いた。
生まれて初めて、心の底から悲しくて。
お腹の底から声を出して泣いた。
雨が足りない。
もっと降って、もっと濡らして。
もっと強く降って、雨音ですべてが消えるように・・・
「本当に大切な人は、近過ぎて見えない」