好き ということ。
▽ 密かな決意 ・・・

▽   ▽   ▽


 部活の最中に倒れた翌日、仕方なく母とともに総合病院に来ている。鼻の頭がヒリヒリする以外は、特にどうという事はない。でも、顧問に部活禁止と言われ、親にまで連絡されたのでは、イヤだと言えない。まあ、早く終わらせて、さっさと学校の行きたい。

 そろそろ駅伝の県内予選があるし、何より学校には冬優花がいる。
 バカな男かも知れないが、オレは冬優花さえいれば、あとはどうだって構わない。

「ねえ、まだ?」
 午前9時には来ていたが、まったく順番が来ない。機械の故障か何かで、順番が飛ばされているんじゃないのだろうか。時計はすでに11時をとうに過ぎ、12時に迫ろうとしている。

「藤井さん、藤井 智洋さあん!!」
 ようやく自分の名前を呼ばれ、即座に立ち上がった。

 待ち時間3時間、診察3分。
 何かのバツゲームのような時間を過ごし、「念のため」という検査を受けさせられた。すでに12時を回っていたという事もあり、検査は午後からになった。本当にいい迷惑だ。

 病院の食堂で母と昼食をとり、14時になると再び外来に向かう。すでに診察時間が終わっているのか、朝と違って誰もいない。

 オレは母をその場に残し、看護師に連れられてMRIとかいう機械に乗せられた。めんどくさい。早く帰りたいが、このままでは今日は欠席になる。あとで、冬優花には連絡しておこう。

 すべての検査が終わり、外来に戻される。再びここで待つように指示され、母とともに薄暗い待合所に座っていた。すると、15分くらいして看護師がなかから現れた。

「お母さん、ちょっと」
 呼ばれたのは母だけ。何かいい気はしない。密談をされているようで気分が悪い。

 オレは待合所のソファーから立ち上がり、静かに診察室へ近付いて言行った。案の定、医者が母に何やら説明をしている。それを聞いて、母が鼻をすすっている。

 オレはそっと仕切りのカーテンに手を掛け、隙間を作って中を覗き込む。医者の机の上にはカルテ。あれは、オレのカルテだ。
 住所、氏名、年齢・・・諸々の情報のあと、そいこにオレの病名が書いてあるはず。何だオレの病名は?

 右側頭葉に腫瘍あり・・・

 ウソだろ?
 ホントにオレのカルテか?
 何度見直しても、上部に自分の名前が記入されている。

 オレは、脳腫瘍ってことなのか?
 そういえば、ここしばらく、何もない場所で転んだ、バランスを崩して転びそうになった事も何度かある・・・
 それに、昨日から左手、いや左足がしびれている。

 力が抜け、膝から崩れ落ちる。
 ついそこにあった長椅子に手を突いてしまい、気付かれてしまう。
「智洋?そこにいるの?」
 心なしか声が震えている。
「ああ、うん」

 返事をすると、診察が心なしか慌ただしくなる。
「それでは先生、よろしくお願いします」
「ええ、では検査入院の事、本人に説明しておいて下さい」

 カーテンを開け、中から母が出てくる。
 検査入院?
 今はそれより、左側頭葉の腫瘍だ。いったい自分の身に何が起きているのかを知りたい。

 今日は学校と部活はあきらめ、帰宅するしかない。


 自家用車に揺られ、自宅に帰る。

 不自然な沈黙と、ムリヤリの話題作りの繰り返し。いつもの母では想像もできな醜態に、かなり厳しい内容だった事が分かる。
 オレが意外に冷静でいられるのは、たぶん、ハッキッリと病名と状態の説明を受けていないからだろう。

 帰宅する同時にオレから離れようとする母を呼び止め、ダイニングに座らせる。母はオレと目を合わせようとしない。一生懸命、震える唇をかみ締めている。

「あのさ・・・」
 オレが口を開いた瞬間、母の肩が飛び跳ねる。
「オレはいったい、どんな症状なんだ?」
 明らかに左右に揺れる目で、母は答える。
「ひ、貧血・・・ただ、もっと検査が必要だって。だから、再来週の月曜日に検査入院を──」
「母さん!!」
 ウソにまみれた答えに、オレは声を荒げる。

「オレは、本当の事が知りたいんだ。
 さっきオレ、カルテを見たんだよ。
 側頭葉の腫瘍・・・これって、脳腫瘍ってことなんだろ?」

 オレの言葉を聞き、引き結んでいた母の口が小さく開き嗚咽が漏れる。そして、目からは大粒の涙があふれ出した。
 この状況を見るだけで、十分に理解した。これ以上の説明はいらない。

「それで、オレはいつまで生きられる?」
 母はその質問には答えず、「医者からのプレゼント」だと前置きをして言った。

「来週は一週間、今までと同じように登校してもいいし、部活に参加してもいい。悔いが残らないように」

「分かった。ちょっと出てくる」
 そう言って、オレはダイニングの扉を閉めた。扉を閉めても聞こえる泣き声が、胸を締め付ける。これ以上の親不孝があるだろうか。

 オレは歯を食い縛り玄関から外に出る。
 すでに空は色を失い、様々な青が深く深く染めていた。

 オレは近所の高架下を目指して歩く。
 自宅から徒歩で10分。いつも利用する電車が走っている。
 高架が見えてくる。この時間帯なら、5分おきに上下線のどちらかが通過していく。

 橋脚に頭をつける。
 電車が通過し、その振動がコンクリート越しに伝わってくる。

「何で・・・何でこんな時に。どうしてオレなんだ。どうして、どうしてオレが!!」
 
 叫んだ。電車の騒音に紛れ、声を出して泣いた。こんなみっともない姿を、誰にも見せる事はできない。まして、冬優花には見せるわけにはいかない。

 冬優花のことを考えると、自然と涙は止まった。

 泣いている場合ではない。自分の不幸を呪っている場合ではない。自分がいなくなったあとの、冬優花のことが心配でならない。
 冬優花はああ見えて、異常なくらい繊細だ。チョットしたことで精神のバランスを崩してしまう。それは、大好きだった祖父が死んだ事に影響されているのかも知れない。

 ずっとオレが守りたかった。
 ずっと一緒にいて、年を重ね、楽しいこと、つらいこと、嬉しいこと、悲しいこと、すべてを一緒に経験していきたった。
 あの時の約束を守り・・・

 オレが頑張ってこれたのは、あの幼い日に約束した言葉のお陰だ。冬優花は忘れているかも知れないし、今の時代だとストーカー扱いされるかも知れない。
 でも、オレにはあの約束がすべてだったし、冬優花にとって恥かしくない男になろうと必死で頑張ってきた。

 どうだろう?
 少しは、友達や知人に自慢できる彼氏になれていただろうか。

 オレは、お前を幸せにしてやれないけど、だけどオレは、お前と一緒にいて、ずっと満ち足りていたよ。

 覚悟を決めよう。
 最後の一週間のため、オレはもう涙を見せたりしない。

 結局、覚悟が決まるまで3日も必要だった。頭では分かっていても、心がついて来れない。しかも、顔を合わせる度に母に泣かれては、気持ちも揺らいでしまう。自分の事よりも、置いていかなければならない母や家族のい事を考えると、冷静でなんていられない。

 それでも、やっとオレはいつものオレのままで、この一週間を送れそうだ。


 ついに、最後の一週間が始まった。
 いつもと同じように朝食を食べ、いつもと同じように登校する。学校に着くとクラブハウスに行き、着替えて朝練に参加する。

 7時45分。
 そろそろ、あの金網に冬優花が現れる。
 来た。
 手を振る。
 気付いた冬優花が手を振り返す。

 練習が終わって教室に入ると、いつものような喧騒が室内を支配していた。騒がしいと思っていた教室も、こうなってしまえば心地良い。
 教室を見渡して前を見ると、不思議そうな表情で冬優花がこちらを見ていた。
 ヤバイ、ヤバイ。
 冬優花は感受性が強い。
 気付かれてしまうかも知れない。

 授業が始まる。
 古典なんて、今の時代に必要ないと思っていたが、なかなか面白い。今更気付いても、もう時間は無いわけだけど。

 窓際に座る冬優花。
 今更、どこを見ているのか追求するつもりはない。それに、アイツに負ける気はサラサラ無い。

 不意に振り向く横顔。
 目が合った瞬間、冬優花に対する想いを込めて笑った。こうして笑顔を見せることも、見ることも、あと何回できるか分からない。

 だから、この目に焼き付けておきたい。
 目を閉じる瞬間、ハッキリと思いだせるように。

 放課後、いつものように部活が始まる。
 部員のみんなには、迷惑と心配をかけてしまった。ホントにごめん。
 駅伝の県内予選を控えているからか、涼太が本気で走っている。当然、涼太に負けるわけにはいかない。
 タイムはほぼ互角、あとは、この一走に賭ける思いの強さ。
 当然、最後の直線で引き離す。
 悪いな。
 お前にとっては数あるうちの一本でも、オレにとっては5分の1なんだ。負けるはずがない。

 部活が終わると同時に素早く着替え、外に飛び出す。涼太は大声で笑うけど、オレにとっては大切な時間だ。
 校内の自動販売機でスポーツドリンクとフルーツミックスを買い、両手に持って校門を抜ける。
 自動販売機の横に背中を預け、いつものようにアスファルトを蹴っている。この姿が見られるのも、あと3回。

 冬優花の名前を呼ぶ。
 素早く振り返り、「走って来なくても」と笑う。
 この日常が大切な、こんなにも大切な日々だったとは思いもしなかった。
 そうだ。
 少しゆっくり歩こう。
 この幸せな時間が少しでも長く続くように、ゆっくり、もっとゆっくり。


 どんなに願っても、時間は止まらない。
 最後の一週間は、最後の一日を迎える。

 覚悟は決めた。
 オレは冬優花の前から消える。
 非道な男になり、恨まれて消える。
 それしか方法は無い。
 オレが逝くところを、冬優花に見せるわけにはいかない。オレは静かに、ひとりで逝くと決めた。
 冬優花のことは涼太に頼む。
 アイツ以上に信じられるヤツはいない。
 それに、涼太は冬優花が好きだ。
 見ていれば分かる。
 それに、冬優花も・・・
 だから、オレが機会を作る。
 オレからの最後のプレゼント。
 あとは任せる。
 だから、オレの事はすぐに忘れろ。

 雨だ。
 オレの心のように、豪雨になれ。
 豪雨になって、オレの軌跡をすべて流せ。
 すべて消してくれ。

 放課後のチャイムが鳴る。
 冬優花を呼び出す。
 冷酷に、冷徹に別れ話を切り出せ。
 そのあとで、涼太にも話しをしておかなければならない。アイツには、オレの事を黙っておくわけにもいかないだろうし。


 予定通りだ。
 冬優花とは別れた。
 涼太に、冬優花のことは頼んだ。
 あとは、オレが消えるだけだ。
 キレイさっぱり。
 跡形もなく消えて見せる。

 帰宅途中にスマートフォンを解約し、月曜日の午前中には入院。
 入院先は、県立病院。たぶん、誰にも分からない。このまま、誰とも会わないまま、みんなの記憶から消えていく。

 オレは、いったい何のために生まれてきたのだろう。家族を悲しませるだけで、冬優花を悲しませ、何ひとつ残せないままで。


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