好き ということ。
◆ 約束の日 ・・・
 県立病院で会ってから二日。

 今日が智洋の手術の日だ。
 手術は午前10時に始まり、6時間の予定だと聞かされていた。

 無断欠席が発覚した私は学校を休む事もできず、仕方なく登校していた。今日が手術の日だと知っている人はいない。みんなは、いつも通りの学校生活を楽しんでいる。

 そんな中で、私は登校してからずっと、グランドをぼんやりと眺めていた。

 何を言っても反応しない私に、さすがの美優もあきれてどこかに行ってしまった。
 桐山はこちらの様子をうかがってはいるが、声を掛けてくることはない。
 葵は、いつもの敵に戻っている。


 14時───

 昼食直後の授業という事もあり、あちらこちらに寝息を立てている生徒がいる。現代国語の先生は怒ることもせず、そのまま授業を進めていく。

 緩慢な空気。
 見慣れた光景。
 見慣れた光景のはずだった。



 その時、

 空から真っ白な羽が降ってきた。
 ヒラヒラと風に舞って。
 
 ああ・・・

 天使の羽は数を増していく。
 視界をすべて真っ白に塗りつぶす。

 ああ・・・そうなんだ。

 名前を呼ばれた気がした。
 その方向を見ると、智洋が自分の席に座っていた。そして、いつものように私を見て優しく微笑んだ。


 授業中にも関わらず、声を出して泣いた。
 もう我慢できなかった。

 ずっと、ずっと・・・
 涙が枯れるまで、ずっと泣き続けた。


 私が泣いていた理由をみんなが知ったのは、土曜日になってからだった。連絡網で、智洋の告別式の案内が回されたからだ。

 日曜日、葬儀会場になっている智洋の自宅に行くと、すでに大勢の人たちであふれ返っていた。同じ学校の制服姿が多いところを見ると、クラスメートや陸上部の部員が来ているのだろう。

 一歩一歩、近付いて行く。
 私の姿を見付けた人たちが左右に避け、玄関に向かって一本の道ができる。

 菊で飾られた祭壇が見える。
 その前に棺。
 そして、泣き崩れる女子生徒の姿。
 周囲の生徒たちに支えられ、こちらへと歩いて来る。
 葵は私存在に気付き、驚いた様子を見せた。

 不思議と心は凪いでいた。
 不思議と涙は出なかった。

 玄関から上がり、祭壇へと向かう。
 棺の横に並ぶ親族に頭を下げると、女の子が歩み寄って来た。私の手を両手で強く握り、我慢していたであろう涙をポロポロと流した。

 しばらく抱き締めたあと、落ち着きを取り戻した美月を座らせ、私は棺に向かった。

 智洋が眠っていた。
 苦しんだ様子はなく、穏やかな表情で目を閉じている。

 私は智洋の頬にそっと手を伸ばす。
 そして、智洋に顔を近付けて言った。

「どうか、私を幸せにして下さい」




 ああ、人は何のために生まれ、何のために死んでいくのだろう。

 智洋の心は、思い出は、ずっと私が守っていく。
 私が生きている限り、ずっと忘れない。

 でも、祖父はどうだったのだろうか。

 あれほど周囲の人たちに尽くし、最後の最後まで手を差し伸べ続けた。だけど、結局、祖父がいなくなっても何も変わらなかった。誰が何に困ることもなく・・・

 祖父はいったい何のために生きたのだろう。

 智洋を乗せた黒塗りの車が、クラクションを響かせながら走り出す。その向こう側に、私は見付けた。あの日、智洋がハンカチを拾った女の子が、両手を合わせて立っている姿を。

 「ありがとう、宝物なの」と言って何度もお礼を言っていた女の子と、何度も頭を下げていた母親。

 ああ・・・

 その瞬間、祖父の葬儀を思い出した。
 大好きだった祖父が亡くなり、気が動転していた私が見落としていた事。今まで思い出すことすらなかった過去。

 今と同じように、祖父を乗せた車が自宅を出発する時だった。
 火葬場までの送迎バスに乗り込んだ私は、窓の向こう、道路を挟んだ道向こうの歩道に、点在する私服の人影を見た。
 
そうだ。あの人たちのすべてが、祖父に手を合わせていた・・・

 ああ、そうだったんだ。
 祖父は、みんなから感謝されていたんだ。

 祖父がしてきたことは、決して無意味なことではなかった。


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