好き ということ。
◆ ぬくもり ・・・
 美優と別れた私は、校門から少し離れた自動販売機の側面に背中を預けて立っている。
 ちょこんと側溝から顔を出す猫を、ぼんやりと眺める。

 思考がまとまらない。

 「ふう」と大きくため息を吐き出した時、大きな手が私の頭をポンポンと優しく叩いた。

「お待たせ」
 夕日に照らされた表情は、いつも通り穏やかで。だからこそ、思わずうつむいてしまう。

「魂まで抜けそうなため息吐いて、どうかした?」
「ううん、智洋が遅いな、もう!!って」
「ああ、ごめんごめん」
 咄嗟に口から出たウソに、智洋が笑いながら謝る。
 
 今では当たり前になった動作。
 笑顔で差し出される手。
 少し汗がにじんだ手をつかむ。
 私の心はここにある。
 ああ、でも・・・

 もう、泣きそうだよ。

 唇を噛み締める私に気付いた智洋が、心配そうに膝を折る。
「ん、何?」
「ううん」
 私は左右に首を振る。もう一度首を振る。
「そっか」

 智洋は私の手をギュッと握り締め、笑顔で口笛を吹き始める。
 告白された直後、始めてのデート。
 カラオケで智洋が最初に歌った曲。
 私に捧げるラブソングだって。

 いつまでも、ずっと愛してる。
 例え、この生命が尽きたとしても、ずっと愛し続ける。
 そんな歌詞を聴きながら、思わず泣いてしまった。


 智洋を初めて意識したのは、2年になった4月。
 
 駅前にあるゲームセンター、その入り口付近に設置されたクレーンゲームに、どうしても手に入れたい猫がいた。
 手のひらサイズの三毛猫で、キーホルダーにもなっていた。美優はオヤジ臭い表情を見て顔をしかめていたけど、私はそのキモかわいさに惚れ込んだ。

 所持金は2200円。全額投入すればチャンスは22回。
「ああ、もう!!」
「かっかっか。残念だったのう。まあ、ジュースおごってあげるか」
「シクシク」
 泣くフリをして両手で目元をこする私を、美優が笑いながら慰める。
「でもまあ、あんた下手過ぎるわ。取れそうな気配すらなかったし」
「う・る・さ・い」

 ああ、もう、本当に欲しかったのになあ・・・
 ゲームセンターの外にあるベンチに座り、美優がら手渡された缶ジュースを両手で持つ。

 「グレープジュース、いつもより冷たい。でも、私の心は、このジュースよりも冷たい」そんな事を思いながら、ガックリと肩を落とした。その時だった──

「志田!!」
「は、はいー?」

 不意に名前を呼ばれ、声の聞こえた方向を見ると智洋と桐山が立っていた。
 驚いて目を丸くしている私に、智洋が何かを投げてきた。それを受け止めた私は、それがあの三毛猫だとすぐに気付いた。

 状況が飲み込めない私は、小首を傾げながら智洋を見る。

「やる」
 意味が分からない。

「それ、やるよ」
「はい?」

 頭上に?マークを何個も浮かべている私に、桐山が笑いながら智洋の行動を説明する。

「それ、コイツからのプレゼント」
「え、もらっていいの?本当に?」
「いーのいーの。っていうか、もらってやってよ。コイツ、それ取るのに1500円・・・ぐえっ」
 桐山にボディーブローを放ちながら、智洋は背を向ける。

「あ、ありがとう」
 背を向けたまま右手を挙げて応える。その後ろ姿を、慌てて桐山が追い掛ける。
 桐山の飛び蹴りを軽くかわした智洋は、そのまま駅の方向に消えていった。


 ──告白は突然だった。

 放課後、なかなか沈まない夏の太陽も、オレンジ色に染まり始めていた。そんな時間帯まで、あきらめきれない私は校内にいた。
 教室から廊下、職員室、グランドを行ったり来たり、10回以上往復していた。

「ない、ない、なーい」
 キョロキョロと周囲を気にせず歩きまわる私は、明らかに不審者だ。
「どこいったのー?」

 申し訳ないので、美優には先に帰ってもらった。不審人物と一緒では、美優に迷惑を掛けてしまう。

 帰宅しようとカバンを持った私は、ぶら下がっているはずの三毛猫がいなくなっている事に気付いた。
 あの日から、カバンと一緒に毎日通学してきた三毛猫。ところどこ汚れてはいたけれど、大切にしてきたのに。いつの間にか、ホルダーごとキレイに無くなっていた。

 探し始めて2時間。
 すでに半泣き。涙があふれている。

 それでも、何とかこぼれ落ちる事態は回避し唇を引き結ぶ。今朝通った記憶がある場所を、何度も何度も歩く。うずくまるように膝を抱えて目線を落とし、植木の陰、ベンチの下を探す。

 ない。どこにもない。
 もう、学校の外しかない。
 学校の外に落としたとしか考えられない。
 でも、今朝登校してカバンを机の横に置いた時には、三毛猫はまだ付いていた気がする。私の勘違いなの?

「どうかした?」
 頭上からかえられた声に、目を潤ませたまま見上げた。

 智洋だった。
 智洋は半ベソ状態の私を見ても何も言わず、私のすぐ横にしゃがみ込んだ。そして、姿勢を低くして辺りをグルリと見回した後で、私の顔を覗き込んだ。

「で、何を探せばいい?」

 その言って笑った智洋の顔を、私は今でもハッキリと覚えている。

 それから1時間以上、西の空が青く染まるまで二人で探し続けた。
 それでも見付からなかった。
 どこにもない。やはり、学校の外で落としていまったのだろうか?
 それとも、校内のどこかで落とし、すでに誰かに拾われてしまったのだろうか・・・

「うっ・・・」
 泣きそうだ。
 可愛がっていたのに。
 朝と夜、毎日話し掛けて一緒に通学していたのに。

 背後から近付いてくる足音。
 仕方ない。
 もう十分に探したし、これ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。

 どうにか笑顔を作ると、一緒に探してくれた相棒に告げる。
「ありがとう。
 もう、いいから。
 もう、いい・・・あ───」

 「はい」と差し出された手。

 ポロポロと、まるでアニメのような涙がこぼれた。
「ちょっと汚れてるけど」 
 言葉にならなかった。

 探すという行動は、あきらめるための準備運動なのかも知れない。
 でも、気持ちをいくら整理しても、本当の想いを消し去ることなどできない。本当の想いというものは、決して消えない。ずっと心の奥底で後悔とういう悲鳴を上げ続ける。

「あ、ありがと・・・」
 泣き笑いしながら差し出す私の手を取り、智洋は手のひらに三毛猫をそっと乗せる。そして、そのまま自分の両手で私の手を包み込んだ。

 驚きのあまりキョトンとする私を、真剣な表情で真っすぐに見詰めて智洋が告げた。
「ごめん。オレが、オレの責任だ・・・」
「え、何が?」
「いや・・・」

 智洋はうつむき加減で左右に首を振り、再び顔を上げる。
 両手を握り締められたままの私の顔は、自分でも分かるくらい真っ赤に染まっていく。もう、頭から湯気が昇ってもおかしくない。

「オレと付き合ってくれないか?」

 頭の中が真っ白になる。

「もう、涙なんか流させない。
 オレが守るから。
 いつまでも、ずっとそばにいるから!!」

 断る理由なんて、何も思い付かなかった。
 あの笑顔を見た時に気付いていた。
 好きだったんだ。
 たぶん、きっと、ずっと。

 うなずいた。
 何も言わず、何度もうなずいた。


 あの頃の私は、精神的にドン底だった。
 
 今はもう考える事は少なくなったけど、今でも答えは出ていない。
 それは、自分自身の存在理由。
 今ここにいる意味。
 何のために生きているのか?

 毎日毎日、朝起きて学校に行き、黒板に書き込まれる文字を必死にノートに写し、心を許す事もできないクラスメートと笑い合って、家に帰っても言葉が通じない親と食卓を囲み・・・

 何の意味があるのか?
 なぜ私は、今ここにいるのか?
 私がここにいる事に、いったい何の意味があるのか?
 私ひとりいなくなったところで、何も変わりはしないのに・・・

 誰もが落ちる深い穴。

 その薄暗い穴の最深部で、いつもみんなに見せる表情とは裏腹に、心の中は常に暗雲が立ち込めていた。モノトーンの世界で、文字通りの暗中模索。

 あの日、あの三毛猫をもらうまで。
 あの日、あの笑顔を見て全てが鮮やかに浮かび上がった。

 夏休みまでの数日、校門の外にある自動販売機で待ち合わせ。
 夏休みに入れば、補習もないのに登校し、教室の窓からグランドを眺めた。
 スポーツドリンク片手に、タオルを首からぶら下げた智洋と、日陰を探しながら歩道を歩いた。
 暑くて愚痴ばかりこぼす私をなだめようとする智洋が、手にしていたスポーツドリンクを渡し、それを私が容赦なく一気飲みする。愕然とする智洋に、私は笑顔でVサイン。

 他愛もない日常。
 意味なんてない。
 だけど、智洋の手のぬくもりで。
 となりにいる智洋の存在で・・・
 私の心は満たされた。
 あんなに感じていた不安も、眠れずに自分の肩を抱いて震える夜もなくなって、自分自身の存在すらも疑った日々がウソのように消えた。

 智洋のぬくもりは、こんな私を包み込んでくれた。
 私の一番大切な人。
 裏切る事などできない、ただひとりの存在。智洋を裏切るなんて事は絶対にできない。


「おっと」
 並んで歩いていた智洋がつまづいてバランスを崩し、私の肩に手を置いた感触で我に返る。

「大丈夫?」
「あ、うん」
 振り返って足元を確認した智洋が、怪訝そうに小首を傾げている。
「駅伝大会まで1ヵ月もないんだし、ケガには気を付けないと」
「大丈夫、何ともないから」
「ならいいけど」

 私に向けられる優しい笑顔を見て、心がホカホカする。だから、確信する。

 今でも私は、間違いなく智洋が好きだ。


 
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