好き ということ。
◆ 告白 ・・・
科学室の指定席で、でも、今日はひとりでグランドを眺める。
智洋はいつもと同じように、大きく手を振って通り過ぎて行った。でも、桐山は来ない。来ない・・・
窓枠におでこを乗せ、上履きのつま先ボーッと見下ろす。
いったい、どうなったのだろうか?
真っ先に思い浮かべたのは、美優がフラれる場面だった。
ああ、もう、私って最低だ。
最悪だ。
自分にウンザリして自己嫌悪に陥っていた時、開いたままの扉から誰かが飛び込んで来た。驚いて振り返った私は、無言のまま立ち尽くす美優の姿を見付けた。
無言のまま見つめ合う形になるが、なぜか掛ける言葉が出てこない。それは、本能的に気配で感じたからなのかも知れない。
美優は一歩ずつ、ゆっくりと足を進める。
あと机3個分というところで目に涙を溜め、そこから一気に私のもとへと走ってきた。そして、「うっ」と一瞬発した後、私の胸に頭を押し付け声を圧し殺して泣いた。
声にならない叫び声が、キンキンと耳の奥に響く。
本当の感情が、心の奥底に秘めた想いにズキズキと突き刺さる。
「ずっと好きだったんだ」
「うん」
「本当に好きだったんだ」
「うん」
「好きだったのに」
「うん」
「こんなに好きだったのに」
「うん」
「好きな人がいるんだって。
だから、ごめん・・・て」
美優の肩を抱き締めながら、ふと窓の外に視線を移す。そこには、グランドに向かって歩いている桐山の姿があった。
不意に立ち止まる。
視線が交錯する。
遠くにいても、不思議と分かる。
目を細める私を見て、桐山はプイと前を向いて走り出した。
こんなときでも、その背中を追い掛けてしまう。
ひとしきり泣いた美優は、「ひとりになりたい」と言って、「大丈夫だから」とムリヤリ笑って教室をあとにした。
言葉が見付からず、ただ「うん」といしか言う事ができなかった。
慰めや同情の言葉なんかに無意味だし、例え言葉を尽くしたとしても傷付いた心には届かない。もし、心の準備をしていたとしても、あの絶望感には、きっと耐える事はできない。
少しホッとした自分がいた。
震える美優の肩を抱きながら、安堵する自分がいた。
許せないよね?
ごめん、ごめんね・・・
私は最低な女だ。
18時を過ぎると、周囲の景色が徐々に赤く染まってくる。ほんの1ヵ月前までは、一日に終わりがないかのように明るいままだった。だけど、9月も半ばを過ぎると一気に様子が変わる。照り付ける太陽は変わらず強いままなのに、一日の終わりが目の前に迫っている。
いつも私が立っている場所も、隣にある自動販売機の陰に飲み込まれている。真っ暗な陰に。
「お・・・待た、せ」
周囲の何が変わっても、これだけはいつもと同じ。
「お疲れさま」
自動販売機の向こう側から、息を切らせながら智洋が現れる。
「別に、走ってくる事ないのに・・・」
「そ、そうなんだけど、今日は、な、なんとなくね」
腰に手を置き、背伸びををするように呼吸を整えながら、智洋はスポーツドリンクのキャップを片手で起用に回す。そして、ゴクゴクと喉が鳴らしながら一気に飲み干していく。
スポーツドリンクを流し込む智洋の背後を、スタスタと桐山がひとりで通り過ぎて行く。白い後ろ姿に、つい、いつもと同じように視線を送ってしまう。私の視線に気付いた智洋が、ペットボトルを持つ手を下ろして隣に立ち位置を変える。
その行動に後ろめたさを感じ、慌てて視線を智洋に戻した。
智洋は遠ざかる桐山の背中を追いながら、空いている右手をポンと私の肩に置く。
「涼太と何かあった?」
一瞬、心臓が止まった。
予期しない問い掛けに、一気に心臓の鼓動が速くなる。
耳の中で心音が大きく響く。
息ができない。
声を出そうとしても、上手く話せない。
「あ、あの、ね、実は美優が・・・」
呼吸を整え、平静を装って言葉をつなげる。
「今日、き、桐山に告白したの。それで、桐山のヤツが・・・」
意味もなく焦る。
焦って余計な説明を付けてしまう。
「告白って、私じゃないのよ?み、美優がね!!」
「分かってるよ。冬優花はオレの彼女じゃんよ」
「あ、う、うん。そう、そうだよ」
横ににいる智洋の様子を、ドキドキしながら見詰める。
こんな私の内心など知らない智洋は、なぜか腕を組んで目を閉じている。
緊張した空気の中で次の言葉を待っていると、智洋は唐突に振り向いて、私の両肩をガシッとつかんだ。
「ようやく分かったよ、それで今日は部活遅れて来たんだなあ。遅れた理由は言わないし、不気味なくらいに静かでさ、何か気持ち悪かったんだよな。
でもまあ、うん、アイツらしいと言うか、まあ」
「でね・・・」
その結果を話そうとする私の口を、そっと智洋の人差し指が止める。
「そこから先は言っちゃダメじゃん」
「あ、うん。そうだよね、うん」
「それに、聞かなくても分かるし」
「そ、そうなの?」
智洋は大きく息を吸い込むと、今度は「はあ」と一気に空気を吐き出した。盛大なため息の後で、智洋は私の方に向き直る。
「『好きな人がいる』じゃない?
いや、何も言わなくていい。それだと言った事と同じだし。それに、まあ、まず100パーセント当たってる。
それ以外に、アイツの返事はない」
そう言い切った智洋は、桐山が消えて行った方向を見詰めた。
智洋と肩を並べ、街路樹の影が伸びた歩道を歩き始める。
隣にいるとすごく安心する。
声を聞いていると不思議と落ち着く。
自分の存在理由なんて迷路から、私を助け出してくれた。
まるで、祖父がいた頃と同じように・・・
そう、なんだ。
祖父と同じ感覚。
もしかすると、祖父を失った喪失感を・・・
ふと我に返り隣を見る。すると、そこにいるはずの智洋の姿がない。
「ありがとう。宝物だったの!!」
少し離れた場所から届いた声。その方向を見ると、身を屈めた智洋が小さな女の子にお礼を言われている場面だった。
その様子がらすると、落としたハンカチを拾って、渡してあげたようだった。
私の視線に気付いた智洋が顔を上げ、こちらに笑顔を向ける。
「ああもう、何でこう・・・」
智洋はスックと立ち上がり、女の子に軽く手を振って戻ってくる。
途中で転ぶ。
前のめりに転んだ智洋の元に歩み寄り、目の前に右手を伸ばす。智洋はバツが悪そうな顔でその手をつかむと、ゆっくりと立ち上がった。
「きょ、今日の練習はきつかったし」
「まあ、そういう事にしとく」
そのまま手をつなぎ、駅への道を歩いて行く。
歩道に落ちる二人の影は重なるように、ひとつになっている。
でも・・・
その夜、いろいろな事が頭を巡り、なかなか寝付くことができなかった。
美優の告白は、最近の安穏とした生活の中では、久しぶりに強力なインパクトがある出来事だった。
真っ直ぐな想い。
ウソ偽りのない本当の気持ち。
その全てが私を震わせた。
私は、この気持ちを消さなければならない。
全てを忘れなければならない。
こんな汚れた想いは、誰にも許されるはずがない。
例え、ずっとこのまま言葉にする事がなくても。
ポタリ、ポタリと、頬を流れる滴が落ちて音を立てる。
必死にパジャマの袖で目元をこする。
不安定になっていく。
分かってはいても、胸の奥がキュッと締め付けられる。
経験した事がない感情に、次から次へと涙があふれてくる。
涙の意味は分からない。
考えたくもない。
私が何も望まなければ、何もかも心の奥に沈めていれば、私の涙で蓋をする事ができるのならば・・・
それで、誰も傷付かないのであれば、私が選ぶ道はひとつしかない。