好き ということ。
◆ 消えない文字 ・・・
結局、朝まで眠る事ができなかった私は、腫れぼったい瞼で登校した。当然のように足取りは重く、とても愛想笑いなどできそうにもない。
どうにか電車にから降りると、改札の外に美優の姿を見付けた。
昨日の今日だし・・・と、おそるおそる声を掛けた。
「お、おはよう」
「んんー、何その目?
なんかさあ、ウチの近所にある魚屋の店先に並んでる半腐り状態の異臭を放つサンマの目とそっくり」
「ちょ・・・!!何かいろいろツッコミどころ満載なんですけど!!」
チラリと表情をうかがうが、美優に落ち込んでいる様子は見られない。とういうか、完全にいつも通りだ。むしろ、私の方が見た感じ体調が悪そうだ。
学校まで続く坂道を、いつもと同じように他愛もない会話をしながら歩く。今までならグランドが見えてくるこの辺りで美優が速足になり、嬉々として金網にしがみ付いていたのに・・・え?
歩くペースを突然上げた美優が、少し先の金網に顔を付け、グランドに向かって目を凝らした。
その行動に驚いた私は、慌ててその後を追った。そして、美優の隣で同じようにグランドを眺める。
「やっぱ、涼太君かっこいいよね」
美優の言葉に、私は思わず目を見開く。
「『好きな人がいる』って言われて、フラれちゃったけど・・・
でも、やっぱ、好きなものは好きなんだよね。
好きな人がいるって分かっても、涼太君を好きだって気持ちは消えたりしないよね」
頭の中が真っ白になった。
私には自分の想いを消してしまう選択しかなく、少しずつ心の底に沈めようとしている。それが唯一の答えだと信じ、実行しようとしているのに。
「・・・でも」
「でもって何?」
自分の状況を考えていると、つい反対する言葉が口を付く。すると、いつもは笑って本音を誤魔化す美優が、真顔で振り返った。
「恋愛に関してだけは、『でも』・・・なんて存在しない。
自分の想いをどんなに圧し殺しても、消えたりしない。絶対に。
例え、自分にウソを吐いて心を真っ黒にしても、本当の想いは白い文字になって浮き上がってくるんだよ。まるでホワイト・マーカーで書いた文字のように、いくら消しゴムで擦っても消えやしない」
そこまで言って美優は表情を和らげた。
「昨日ずっと考えて、自分なりに出した答え・・・
だから、私は今も涼太君を好きなまま。
いー女になって、今度は涼太君の方から告白させてやるつもり」
ニカッと笑う美優に、思わず見惚れてしまった。
そして同時に、胸の奥に秘めた想いが、ギスギスと音を立てて動き始めた気がした。
行きつく先が破滅しかないとしても・・・
睡眠不足からくる体調不良で、3時間目の体育は休むことにした。とてもではないが、マット運動なんかできそうにない。
私はただ一人の教室で、机に突っ伏して目を閉じる。
木々を揺らす風が、グランドを走る男子生徒たちの声を運んでくる。今日の体育は、持久走の練習だと聞いた。智洋・・・そして桐山の晴れ舞台になっているに違いない。
顔を上げ、太陽の光に目を細めながらグランドを見る。
トラックをダラダラと男子生徒が走っている。気持ちは分かる。確か、今日の気温は30度を超える。と、天気予報が言っていたはずだ。
───見付けた。
すでに座り込んでいる生徒がいる中、淡々と走る二人の姿。まだまだ本気で走っているようには見えないが、他の生徒たちは全くついて行けない。
二人がお互いの顔を見た。
ペースが一気に上がる。
最後の1周だけ、本気で勝負しているみたいだ。きっと、昼ご飯かなにかを賭けているに違いない。
速い。まるで100メートル走みたいだ。
最後の直線、智洋が少し前に出る。
がんばれ・・・
最後の力を振り絞った桐山が徐々に差を縮め、再び智洋に並ぶ。
全力疾走。
風を切る音がここまで聞こえてきそうだ。
がんばれ。
がんばれ!!
二人で並んでゴールする。
こんなに遠くでは、どっちが勝ったのか分からない。ゴールの少し先に座り込み、二人が笑い合っている。
どちらが勝ったのかは、私には分からない。
「あ・・・」
机の上に落ちる滴。
いつの間にか泣いていた。
二人の姿を見ているうちに涙があふれていた。
手のひらで両目を擦り立ち上がる。
ひとりきりの教室に、私の足音だけが響く。
その音は教室の後ろから前まで移動し、黒板の前まで続いた。
白いチョークを手に取り、カツカツと黒板を叩き始める。
今の想いを、心の奥底に沈めた許されない気持ちを。
黒板の右から左に、白い文字が並んだ。
智洋は大事な人 一番大切な人 離れるなんてできない
でも 今の私は たぶん 桐山が好き
黒板に並ぶ白い文字。それを見ていると、再び視界がぼやけてくる。締め付けられるように痛む胸元を押さえ、私はギュッと唇を噛み締めた。
3時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、一瞬で現実に引き戻される。この文字を急いで消さなければ、クラスメートたち見付かってしまう。
慌てて黒板消しを手にし、一番端の文字を押さえた。その時、軽快な足音が廊下から聞こえ、そのままの勢いで教室に飛び込んできた。
急いで手を左右に振る。
見られてはいけない。
誰にも知られてはいけない。
大丈夫、見られているはずがない。
しかし、その願いは一瞬にして打ち砕かれる。
私は背後に迫っていた人影に、全く気付いていなかった。突然耳元で響く声に、身体が硬直する。
「アンタねえ!!」
肩をつかまれ、強引に後ろを向かされる。フラつきながら振り返った先には、怒りに震える葵の顔があった。
乾いた音と同時に、左の頬がジンジンと熱くなる。
「信じられない・・・私がどんな思いで、どんな思いで!!」
叫び散らした葵は、怒りを抑え切れない様子で廊下に飛び出して行った。
私が書いた文字が、微かに残っている。
どんなに上手く消したとしても、完全には消えてくれない。
私の心は、消え残った文字でいっぱいだ。
葵だけが他の女子生徒たちより早く帰ってきていたらしく、また教室には私ひとりになっていた。私は急いで自分の席まで戻り、机の横に掛けているカバンを手にする。
「逃げるの?」
心の中で、誰かが問い掛けてくる。
「早く逃げなきゃ!!」
他の誰かが叫ぶ。
必ず葵は智洋に伝えるだろう。それが今なのか、部活の時なのかは分からない。それでも、今日中に智洋に知られてしまう。
どうすればいいのか、今の私には分からない。あまりに突然で、無防備な状態での発覚。昨夜、ずっと隠し続けると決めたばかりなのに、それなのに・・・
カバンを手にし、教室を飛び出す。
「ちょと冬優花、どこ行くのよ!?」
廊下で美優とすれ違う。
「分かんない!!」
「はあ?」
意味が分からない、といった表情の美優。その横を一気に駆け抜ける。とりあえず、この状態で教室にはいられない。
クラスメートに出会わないように廊下を選び、そのまま1階にある保健室に飛び込んだ。
何の偶然か、タイミング良く保健室には誰もいなかった。
呼吸を整えつつ、二つ並べられたベッドのうち、奥側に歩み寄る。そして仕切り代わりのカーテンを閉め、ベッドに潜り込んだ。
5分ほどすると、保険室の先生が戻ってきた。カーテンが閉まっている事に気付き、端から中を覗き込んでくる。
「どうしたの?気分が悪いの?」
「は、はい。ちょっとめまいがして・・・」
マニュアル通りのやり取り。寝ている場合ではない事は十分に分かってはいたはずなのに、寝不足もあって受け答えをしている途中で瞼が閉じてしまった。