好き ということ。
「守ってやるから心配すんな」
桐山の言葉を思い出し、胸の奥が苦しくなる。つかまれた手が熱くなり、全身に伝播していく。いま私は、全身が真っ赤に染まっているに違いない。
人ゴミをかき分けて走る私たちは、どうにか駅前のロータリーまでたどり着いた。桐山はそこで立ち止まると私の手を放し、ゲームセンターの方向を見渡す。
「ふう」と安堵のため息を吐いた桐山は、少し怒気を含んだ表情で私を睨む。
「お前なあ・・・」
制服の胸を押さえながら呼吸を整える私のデコを、人差し指で何度も突く。
「オレがたまたま通り掛ったから良かったが、あのゲーセンは夜はヤバイイんだ。知ってんだろ?昼間と夜は全然違うんだから、暗くなってからウロウロすんな」
「・・・うん」
素直にうなずく私に、桐山が狼狽する。
「あ、いや、分かればいいんだ、分かれば。なんせ、志田は智洋の大事な彼女だからな」
今一番言われたくない言葉を、よりによって桐山から聞くなんて。
感傷的になっている時には、一番心に突き刺さる。
「あ、れ・・・?」
私の顔を見た桐山が絶句する。
どうにか止まっていた涙の堰が、一気に崩壊する。私の両目から、一度は止まっていた涙が次々とこぼれ落ちていく。
「オ、オレが言い過ぎたのか?
いや、でも、泣くほど強く言ってないだろ。なあ、おい・・・」
オロオロして話しかけてくる桐山に対し、左右に首を振る事で答える。人前で泣いた事なんかなかったのに、もう私のイメージはボロボロだ。
「・・・え?」
頭を抱えていた桐山に再び手首をつかまれ、私は駅の脇に連れ込まれた。ズカズカと前を歩きながら、投げやりにボヤく。
「あーあ、もう。
せっかくオレだけの秘密スポットだったのによ。くそ」
駅のすぐ横にある細い路地を進んで行くと、そこは教室の4分の1くらいの広場で行き止まりになっていた。線路との境界である金網に囲まれた秘密スポットの中央にはオレンジ色の街灯が立ち、その下に背中合わせのベンチが2組ある。
そのひとつに桐山はドッカと座り、親指で背中のベンチを指定する。
「昼間は電車の写真撮ってるヤツとか結構いるんだけど、暗くなると人が来なくなるんだ。まあ、何もないから当然っちゃ当然なんだけど」
私は桐山の真後ろ、背中合わせになるような位置に座った。
「何か知んねーけど、まあ、元気だせよ。元気出せって言われて出るもんでもないけどな。つうか、元気出せって言われると余計に落ち込むっての。あ、あれ?何の励ましにもなってないな」
桐山の話しを聞いているうちに、すっかり涙は止まっていた。でも、頭の中はメチャクチャで、何の整理もできてはいない。
「き、桐山の方こそ大丈夫?
軽々吹き飛ばされてたし、ケガしてなければいいけど」
少し茶化した返しに、勢い良く立ち上がった桐山がベンチの飛び乗る。
「あなたの目は節穴ですか?
どう見ても、かっこいい王子様が颯爽と助けに来た!!って感じだったろ」
「弱々しい?」
「いやいやいやいや、それ間違ってるから!!」
桐山の反応に、思わず声を出して笑ってしまう。
広場に響く笑い声を聞きながら、桐山はストンとベンチに座り直す。
「そう、志田はそれでいいんだ・・・」
駅に到着する電車の音で、言葉が途切れ途切れにしか聞こえない。
「え、なに?」
「いや」
「それにしても、女の子を救出するとか、幼稚園以来だ」
「へえ、昔は正義感が強かったんだあ」
「昔はって言うな」
背中合わせの会話が続く。
「幼稚園の時に、すごい好きな子がいてな、その子をいじめるヤツをボコボコに・・・されたんだけどな。ハハ」
幼稚園?
女の子を助けた?
相手にやられた?
記憶の奥からよみがえる光景。
まさか・・・
でも、似たような思い出は、誰にでもあるのかも知れないし。
「あ、のさ・・・」
震える声で、真後ろにいる桐山に問い掛ける。
「桐山って、どこの幼稚園だったの?」
「はあ?そんな事聞いてどうすんだ?」
「いや、何となく」
「乃木坂第三幼稚園。・・・あ、いや、第ニだったか?」
幼稚園の園庭が目の前に広がった。
教室くらいの狭い園庭。そこに滑り台、ブランコ、砂場が並ぶ。ブランコの順番を飛ばされたり、砂場で作っていた山を崩されたり。その度に、私を助けようとしてくれた男の子がいた。
「よしっ・・・と」
そう言って、桐山がベンチから立ち上がる。そして、後ろ向きになっている私の頭に手を置き、ワシャワシャと髪をかき乱す。その手の感触で、私は現実に引き戻される。
「ちょ、マジ有り得ないだけど」
鼓動の高鳴りを隠すように、いつもにも増して悪態をつく。そんな私の態度を見ると、桐山は路地の方に向かって歩き始めた。
「そろそろ帰るべ」
「あ、うん」
急いで立ち上がり、桐山の後を追う。
私が追い付いた事を確認した桐山は、不意に路地の手前で立ち止まった。そして、今までに聞いた事もないような真剣さで、路地の暗闇に向かって話す。
「男にはさ、必ずぶつかる難問があるんだ。
一番大事な局面で、いったい何を選ぶのか?
選択肢は二つ・・・
女か、友情か、だ。
オレは、クズ野郎にはなりたくない。
オレが選ぶのは、友情以外有り得ない」
ああ、そう、だよね・・・
桐山なら、間違いなくそう答えるだろう。例えどんな事があろうと、桐山が智洋を裏切る姿は想像できない。私と違って・・・
薄暗い路地に溶け込んでいく桐山の後ろ姿を、私は見失った。
あの背中を探しても、暗闇の中に紛れて何も見えない。
桐山が歩き去ったあと、我に返った私は小走りに駅前に戻った。
家路を急ぐサラリーマン、突かれた表情のOL。駅前は人波が途切れる事なく、大勢の人であふれている。
周囲を見回しても、桐山の姿はない。
初めて私は、桐山の背中を見付ける事ができなかった。