ダブルベッド・シンドローム
それからしばらく、専務の言ったことが頭から離れなかった。
『僕にはそれしかないですから』
それしかない、というのは、社長に認めてもらうしかない、ということなのだろうか。
それはなぜなのか、社長から見放されると何が起きるのか、私には分からなかった。
例えば私の通っていた大学の医学部では、医者の卵も多かった。
親からの重圧で医者になることを強制されている人もいたと記憶している。
でも、彼らはそこまで悩んではいなかった。
ここまで来てしまったのだから観念しよう、いつか本当に嫌になれば逃亡してしまえばいい、そんな考えを持っていたのだと思う。
彼らは頭が良いから、何が起きても、自分の力で人生を乗り切れる余裕が感じられた。
では、専務はそうではないのか。
専務ほど色々なものを持っているならば、それこそ何にだってなれるだろうが、彼にはそういった自信は感じられなかった。
もっと言えば、自分に自信がないから父親にすがっているとも思えなかった。
専務として認められて、社長になることが目的ではない。
だから父親に気に入られたいのではない。
きっと目的はそこではないのだ。
逆なのだ。
父親に気に入られたいから、専務として認められるよう努めているのではないか。
父親ありきなのだ、彼にとって。
しかしなぜ。それは分からない。
そこでふと思い出した。
専務の母親には、一度も会ったことがないのである。
いよいよ私は、そこへは斬り込む勇気はなかった。
車内での会話を思い出してみても、私は、彼のその違和感の原因に、触れることを許されていないのだ。