ダブルベッド・シンドローム
専務は珍しく、サラサラと髪の毛を掻きながら、随分と考え込んでいた。
いつもより深く悩んでいたのだと思う。
少しだけ、眉を寄せていた。
「菜々子さんは、僕にどうしてほしいのでしょうか?」
「え?」
彼が考えついて、やっと口にした言葉は、字面だけではとても冷たいものに思えたが、おそらく、そうではなかった。
専務は自分では考えつかなかったから、どうすべきか、というよりも、私がどうしてほしいのか、というところに重点を置くことにしたのだ。
専務の考え方は、いつも意外とシンプルなのだ。
「僕にできることはありますか?」
「うーん、そうですね、とりあえず、今はないです。自分の中のモヤモヤが、いつまでも解消しなかったので、誰かに話したかっただけなんです。すみません。」
「何かあれば、すぐにまた言って下さい。やった人が分かれば、その人を異動させることもできますし、逆に菜々子さんを他の部署に動かすこともできます。ご希望であれば、すぐにでも。」
「あ、いや、そこまでではないので、大丈夫です。」
随分と大げさだと思ったが、私が専務の会社内で嫌がらせを受ける、という事実は、彼にとって大きな問題なのかもしれない、とも思い直した。
しかし、大きな問題としてとらえてくれたことは伝わったし、すぐに対処をしようという気持ちも分かったのだが、私が求めていたものは違った。
辛かったですね、と声をかけながら、肩を抱いてもらえれば、それで良かった。
そんなことをしてもらえたら、むしろ、社員証の件は私の中ですぐにでも解決したはずだ。
専務に慰めてもらえたことと相殺で、この件をなかったことにできただろう。
「あの、専務。」
「はい。」
「念のため、言っておきますね。このことは、社長に言わなくて、大丈夫ですから。」
「なぜですか?僕は報告するつもりでいましたが。」
「私の問題だからです。社長に言って、もし介入して下さる、なんてことになれば、正直私は総務部に居づらくなってしまいます。専務にも、本当は言うべきか迷ったのですが、社員証がないままというわけにはいかなかったので。専務のことは、信じて話したんです。お願いですから、社長には言わないで下さいね。」