ダブルベッド・シンドローム
おそらく専務の頭の中では、社長への報告義務と、私のお願い、どちらが重いか、天秤で量っている最中だ。
専務の綺麗な顔に、すっきりと収まっている透き通るような目が、天秤の傾きによって左右に動いていた。
「分かりました。菜々子さんがそう仰るなら、しばらく様子を見たいと思います。」
専務は目を動かしたままであったが、私が頷いて、鍋をつつくことを再開すると、彼もまた、鍋をつつき始めた。
「それと、菜々子さん。」
「はい。」
「何か欲しいものはありますか?」
「欲しいもの?」
「この土鍋は、僕の家にはなかったと思うので、菜々子さんが用意して下さったものですよね。」
「はい。鍋が好きなのですが、ちょうど二人用の土鍋が、スーパーに売っていたので、初日に食材と一緒に買ってきました。可愛いですよね、花が描いてあって。」
私は、裏返しで置いてあった鍋の蓋の表面を、専務に見えるように持ち上げた。
専務はそれを一目見た後、「はい」と言いながら小さく頷いて、また私に話を続けた。
「せっかくこうして毎日料理をして下さっているので、不足しているものがあれば、揃えさせて下さい。」
「え、本当ですか?それなら、欲しいものは尽きないですよ。オーブンも、パスタの鍋も、トングも欲しいです。あとあれ、泡立て器も。それにキッチンタイマーとミトン。」
「ええと、すみません、ちょっと、半分くらい、実物が思い浮かばないのですが・・・」
「それなら、週末、一緒に買いに行きましょう!専務、空いてますか?」
「はい。空いています。」
私は、週末に必要なものを買い出しに行く、そんなまるで夫婦のような予定に、胸が踊った。
こうして少しずつ、それらしくなっていけるかもしれない、そう思ったのだ。