ダブルベッド・シンドローム
「すみません、泣かせるつもりではなかったのですが、あの、」
「いいんです、専務。いいんです。」
私の肩に伸びてきた彼の手は、そのまま添えるか否かを迷って浮いていただけであったので、私は指先で、その手を少しだけ迎え入れた。
専務は傷付いた私を、期待した以上に癒していたのだ。
私はいつも、恋愛において、洞窟の中にいるようであった。
洞窟の外にはたくさんの人がいるのに、そこから出て彼らを愛そうとすると、彼らは別の人と恋愛を始めてしまうから、わざわざ洞窟から出てきた私は惨めに、また戻っていくのである。
それは浜田先生とのことに限ったことではなかったのだが、彼の声を聞きたくないがために、ここ数年の私は特に洞窟の奥に塞ぎ込んでいた。
専務もまた、別の理由で、彼自身の洞窟があるはずなのだが、彼は私を愛するためだけに、その洞窟から出て、私の洞窟の入り口まで来てくれたのだ。
「専務、私、もう専務と別れるなんて言いませんから。やっていけない、とか、簡単に言ったりしませんから。ですから、社長のために私の機嫌をとることを考えなくていいんです。私は専務のことを、無条件で愛するように、努力しますから。」
「はい。僕も、努力します。」
そのときの専務の顔つきは、私の料理が美味しいと言ったときと、ちょうど同じものだった。
私たちはまだ愛し合ってはいないのだが、ここで一度、どちらからともなくキスをしていた。
少し長かった。
深くはなかったが、何度か角度を変えた。
「・・・で、専務。今日のこと、どうなっているんですか。」
唇が離れてから少し間を置いたあと、私はそう尋ねた。
「あのあと、ですか?USBの中を調べて、やはりアクセスしたページの情報が移されていたことが分かり、社長に報告しました。・・・父は、僕が菜々子さんを疑ったことに、かなり憤慨していました。」
「私は、どうなるのですか?本当に、私ではないんですけど。」
「大丈夫です。社内情報といっても、漏洩されても影響はないと思われるものが大半でしたので、時間をとって犯人を特定していきます。社長も、疑っているだけの段階で個人を罰することのないようにと、システム統括部に申し入れていましたから、内密に調査を進めるはずです。」
「そうですか・・・。」