ダブルベッド・シンドローム
私は専務にお世辞を言わせるのは忍びなかったので、川本さんには私の方から「いえ、そんな」と素早く返事をしたが、しかし専務は、さらにそこへ「僕にはもったいない、素敵な方です。」と理想的な返答をした。
川本さんには、またニッコリと笑いながら、「若いっていいわね。」と返された。
「社長、今日は奥様はいらっしゃってませんの?」
「ああ、家内も招待していただいてますから、来ているはずですよ。」
「あら、また今年も一緒じゃないんですか?」
「自由人なもので。」
「どちらが?」
「両方ですよ。」
社長のその返答は、嘘だった。
私たちと社長は会場近くで待ち合わせていたが、そこには奥様も来るはずであったらしく、社長は奥様の携帯電話にずっと連絡を入れていたのである。
しかし、結局電話に出ることはなく、駐車場で、脱け殻となった奥様の車だけを見つけた私たちは、そのままこうして三人で入場せざるを得なかったのだ。
そしてこの現象は毎年のことであるらしく、今年は私がいるということだけが違う点であった。
その原因というのは、私には予想することはできないが、いつか会社のエントランスで聞いた『会いたくないのよ』という奥様の言葉を、私は覚えていた。
奥様は社長とは頻繁に会っているようであるから、避けているのは、専務のことなのだろう。
私はやはり、奥様のことが嫌いである。
専務の鈍感さに甘えているようだが、それは人知れず、専務自身が磨いてきた生きるための術なのに、奥様はおそらく、それをさらに疎んでいるように思うのだ。
もし今日、その奥様と私が会わなければならないのであれば、私は専務の婚約者として文句の一つも言ってやることくらいできるのだが、専務はそれを望んでいないように思えた。
おそらく専務は、奥様を庇い、諌められた私は惨めな思いをすることになるのではないかと思うのだ。
しかし、それでいいとも思う。
しかし、それが本当に今後、専務のためになるかというところが問題だ。
私まで、彼の鈍感さを助長させては、意味がないのだ。