ダブルベッド・シンドローム
「どういうことですか?」
「慶一だって、誠一さんだって、二人とも、前の奥さんを追いかけてるだけよ。私じゃないわ。それが分かっているのに、私だけが愛したところで、何が報われるっていうの。」
「前の奥さん?・・・出ていかれたっていう、慶一さんのお母さんですか?」
「あの人はね、亡くなったお義母様に嫌われてたから、出ていったんじゃなくて、本当は追い出されたのよ。私はそこに宛がわれただけで、あの子は私を求めてないわ。」
「・・・そんなこと、」
「でも私は慶一を愛せない代わりに、きちんと誠一さんを彼に譲ったわ。あの子はそれを拒否したようだけど、もう私にできることなんてないでしょう。」
奥様が社長と別居をし始めたのは、慶一さんに社長を譲るためであった、と、これは慶一さんが奥様に対してしていたことと全く同じであった。
社長との同居を拒否した理由は、奥様のためであったのだから。
この親子はなぜ、お互いに思っていることは同じであるのに、交わることができないのか、私は分からないと思いつつも、実は奥様の気持ちが、痛いほど分かるのだ。
奥様は、洞窟から出ることができずにいる。
「あの、何も知らずに、すみませんでした。」
「・・・いいのよ。何年もそうなんだから。」
人を愛するということは、勇気がいることなのだ。
そのためには、自分を守っている洞窟から出なければならない。
しかし、洞窟から出たからといって、報われるとは限らないのだから、人は誰かが洞窟の入り口に立っていることを確認してから、それからしか出てこれないのである。
そんなきっかけを与えてくれる要因に恵まれている人と、そうでない人がいるのだ。
「・・・なんでこんなこと、貴方に話したのかしらね。」
奥様は、自嘲気味に笑った。
「話してくださって、私は良かったです。」
「良いことなんて何もないわよ。貴方が疲れるだけでしょう。それでも貴方に話したのは、貴方がそういうことを話しやすい顔をしているからでしょうね。」
「・・・ほ、誉められてるのでしょうか?」
「誉めてるわ。看護師だったからなのかしらね。もし、こういうことが、看護師という職業の中に含まれているのだとしたら、だとしたら、とても立派な職業なのね。私は働いたことがないから、分からないけれど。」
そう言った奥様は、あの日のあの人に、何度も重なった。
私は「ごめんなさい」と一言呟いて、駆け足で病室を出た。
仕舞いこんだあの日の記憶が、私の中に再び呼び戻されて、もう、泣いてしまいそうだったから。