エリート専務の献身愛
「なっ……知ったようなことを!」
「瑠依。ちゃんと言いたいことを言ったほうがいい。キミの未来のために」

 浅見さんは私だけに聞こえるように囁く。
 すごく不思議だけれど、まだよく知りもしない人なのに頼りたくなる。

 この熱を帯びた大きな手に。

「不器用だったかもしれないけれど、仕事も恋愛も私なりに頑張ってきたつもりだから。でも、不快にさせていたなら謝ります。今まで、ありがとう……さようなら」

 本当は少し前からわかっていた。

 由人くんといる時の違和感や、お互いに微妙な雰囲気を感じていたこと。
 だけど、手を離す勇気もなくて逃げていた。

 身近に自分の存在を認めてくれる相手がいることに安心したかったんだ。

「ますます仕事に支配された生活になるんじゃない? 俺はべつにいいけど」

 由人くんは公衆の面前で別れを告げられたせいか、当てつけのように隣の女性を引っ張る。
 皮肉めいた笑みを浮かべて。

 それでも、私はもう目を逸らさない。

「行こう」

 肩を引き寄せられ、ずっと動かなかった足を一歩踏み出す。
 ふと見上げたら、浅見さんはとても柔らかく微笑んで私を見ていた。

 由人くんに背を向けて歩き進めた直後、浅見さんはぴたりと足を止める。
 そして顔だけ振り返ると、にこりと笑って女性に言った。

「あなたも、自分の価値を下げるような発言は慎んだほうがいい。もったいないよ」

 そのひと言に、彼女は頬を染めていた。

 ふたりから遠ざかりながら、思いがけない展開になったけれど、そこまで落ち込んではいないと思っていた。
 理由は、隣にいる彼だ。

「瑠依」
「はっ、はい」

 チラッと盗み見した時に、ばっちり目が合ってしまって肩を上げた。
 浅見さんは口に緩やかな弧を描いて言った。

「三軒茶屋まで案内してくれる?」

 まるで、さっきのことなどなかったように彼は笑う。
 私は振り向くことも、振り返りたい衝動に駆られることもなく、前だけを見て小さく答えた。

「わかりました」


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