エリート専務の献身愛
「あの、お薬についてなんですけれども、今日はこちらのパンフレットを」
「うん。あとで目を通しておくよ。それより城戸さん、フレンチは好き? この間すごくいいところ見つけてね。今度どうかな? 今週末は休み?」
「えっ……!? あ、えぇと……」

 辻先生は、私の手からするりとパンフレットを抜き取ると、ズイッと顔を近づけてくる。
 ヒールがなければ、もう少し離れられていたはず。でも、今はそのせいで顔が目の前まできている。

 あからさまに顔を背けるわけにもいかず、口角を上げたままゆっくり後退する。

「それとも、和食のほうが好き?」

 じりじり寄ってきながら、にこやかに雑談を続けられる。いよいよ笑顔も引き攣ってきた。

 誰か、近くを通り掛かってくれさえすれば……。

 そんなことが頭を過るも、誰もやってこない。

「い、いえ、そういうことでは」

 しどろもどろしながら返すのとほぼ同時に、辻先生の院内用PHSが鳴る。 

「はい。え? わかったよ。今戻る」

 コールに反応してすぐ応答するのを見て、ホッと胸を撫で下ろし、そろりと距離を取った。
 用件が終わったらしく、辻先生は通話を切るなりため息交じりに謝る。

「ごめんね。呼び出しが掛かった」
「大丈夫です。お時間取ってしまいまして、すみませんでした。また改めて……」

 深々と頭を下げ、元に戻した直後、不意に耳元に唇を寄せられた。

「今度は、ぜひ食事でもしながら話をしよう」

 低い声で囁かれ、私は驚いて肩を上げて固まる。
 辻先生は妖艶に微笑み、颯爽と白衣を翻して行ってしまった。

 彼の誘いは今に始まったことではない。けれど、徐々にエスカレートしている。
 具体的に食事に誘われたりなんてことはこれまでなかったから、対応に困ってしまった。

「助かった……」

 呼び出しがあったことに感謝し、長い息を吐く。

 とりあえず、今回も誘いは免れたものの、肝心な仕事の話はほぼ皆無……。

 がっくりと項垂れて、肩を落とす。ヒールの音にも元気がない。
 気持ちを切り替えなければと頭ではわかっていても、辻先生が今日の頼みの綱だったから、余計に打撃が大きい。

 きっと、次の科へ向かっていた私は辛気臭い顔をしていたに違いない。

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