好きになれとは言ってない
 




 その日の帰り、いつも通りの電車だったので、もちろん、航はおらず、遥は、じーっと窓から外を眺めていた。

 この駅の辺りで課長と話をやめて、此処で本を読み始めて。

 この辺りで勝ち誇って。

 そうだ。
 此処らで、課長が、
『ちょっと降りるか?』
と言ってきて。

 次の駅名を確認した遥は、
「降りますっ」
と言って立ち上がってしまった。

 なんだ? という顔で周囲の人が見る。

 ……バ、バスならまだ今のセリフも許された気がするのだが。

 たぶん、みんな、降りろよ……と思っていることだろう。

 赤くなって足早に開いた扉から降りる。

 あー、恥ずかしかった、とホームに降りた遥は記憶を頼りに駅からの道を歩いた。

 昔ながらの商店街を通り、閑静な住宅街へと出る。

 よし、此処だっ。

 間違いないっ。

 何処からともなく、美味しそうな夕餉の匂いがしてきた。
< 79 / 479 >

この作品をシェア

pagetop