猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
一体なんの用事だろうと訝しむ。兄が退位する時でさえ人伝に話を聞いたくらい、グレースたち母子は王家とは疎遠だった。王城の片隅に住む場所を与えられ、不自由しない程度の生活は保障されている。王家に連なる者としては質素だが、それでも自分たちには十分事足りているので不満はないが……。

グレースは、自身の立場をわきまえ、目立たず騒がず、穏やかな生活を守ってきたつもりだ。兄王の時代は多少のわがままを言ったこともあったが、いまさら甥であるイワンに呼びつけられるような心当たりはない。
長い道のりを進みながら、あれこれと思案を続けていた。

「グレース様をお連れいたしました」

侍従が分厚い樫の扉の向こうへ声をかけると、内側から開けられる。頭を下げたままの侍従の前を通り過ぎて室内に足を踏み入れた。

連れてこられたのは、予想に反しイワン王が私的に使用するこじんまりとした執務室。落ち着いた調度の中にも、壁に掛かる絵画や活けられた花の色合いの鮮やかさなどから、まだ二十歳になったばかりという彼の若々しさも感じられる。
奥の執務机に座る国王の姿をみつけ、作法に則りゆっくりと腰を折った。

「グレースでございます。国王陛下には、ご機嫌麗しく――」

「堅苦しい挨拶はおやめください、叔母上。さあ、どうぞお顔を上げて」

柔らかな声がかけられ、グレースはおもむろに頭を上げた。内心で安堵の息をつく。そう難しい話ではなさそうだ。
イワンは立ち上がると大きな机をぐるりと回り、応接用に用意されている椅子へと彼女を誘う。座らなければならないほどの長話になるのかと再び身構えるが、断ることもできない。おとなしく腰を下ろした。

「あの、お話というのは……?」

一刻も早くこんな居慣れない場所から去りたいというグレースの思いが、イワンを急かす。

「申し訳ない。少し待ってもらえますか。そうだ。キャロル様はお元気でしょうか?最近は忙しくしていて、ご機嫌伺いにも行けなくて」

「ええ。身体のあちこちが痛いと申しておりますけれど、お医者様には年だから仕方がないと言われてしまいましたわ。それで……」

「それはいけません!今度、関節痛によく効く香薬を届けましょう。そうそう。父は王都郊外にある離宮で、のんびりしているそうですよ。体調も落ち着いていると先日知らせがありました」

イワンの父である先王ギルバートは、母親は違うがグレースの兄である。だが、兄といっても正妃と側室の子という間柄の上、親子ほど年が離れているために、彼が城にいた期間もほとんど接点などなかった。
< 10 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop