猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
朝の光を反射させ黄金色に輝く湖面には、昨日の雨の名残かさざ波が立つ。ゆっくりと目を覚ましているようだった。

墓碑の周りにある薔薇たちもまだ葉に残る雨露を光らせ、生き生きとしている。よくよく見れば、ごく小さな花芽があちこちにみつけられた。

ただひとつ、明らかな異変が起きていた。ひと株だけがすべての葉を茶色に変え落としていたのだ。冬木のようになっているわけではない。生気をまったく感じない干涸らびた樹皮の様子から、素人目でも枯れていると判断が付く。

あの、ひとつだけ花を咲かせていた株だった。

「この前は花までつけていたのに、どうして……」

根元に座り指先で軽く触れた枝が、雨の後だというのに乾いた音を立てて簡単に折れた。

「これに花が?ほかの株ではないのですか」

「間違いないわ。ロザリーの墓碑に一番近い薔薇だったもの。たったひとつだったけど、たしかにあの花が咲いていたのよ」

青々しい葉の中に凜と咲いていた薔薇の姿は、しっかりとグレースの瞼に残っている。どうしてこの株だけが忽然と枯れ果ててしまったのか。

「寿命、かな」

グレースの心の内を読んだようにラルドが呟く。それ以外の薔薇は皆元気なことを考えると、病気というよりはその理由が適当に思えた。

「こんなものにまで、命に限りがあるのね」

最期の力を振り絞ってあの花を咲かせたのだろうか。まるでグレースがここを訪れるのを待っていたかのように。

「この枯れた木はどうなるのかしら」

このまま放っておいてもいずれ朽ち果て土に返る。それもまた自然の摂理。
感傷に浸るグレースだったが、それをぶち壊すようにラルドが歯に衣着せず答えた。

「セオドールが抜くでしょうね」

「ちょっと、そんな……」

取り付く島もない返答に目を剥いても、ラルドはうっすらと冷めた笑みを浮かべる。

「役目を終えたものはその場所を退き、後続に譲る。政と同じです。そうして世の中は廻っている」

枯れた薔薇を見下ろしていたラルドの視線が、眼下の湖でなく明るくなった青い空に向けられた。

「だから場を託されたものは、侵されないように守り、より大きくより美しい花を咲かすべく力を尽くさなくてはいけない。その責任から自分は逃げてはいけないと思うし、逃げたくない」

空と同じ色の瞳がグレースに戻されると、形の良い唇が僅かに歪んだ。

「――なんて。自分だけは逃げてなるものかという、ただの意地です」

自嘲の笑みを隠すように、ラルドはその胸の中にふわりとグレースを抱き寄せた。
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