好きにならなければ良かったのに

「課長、随分と乱暴ですね」
「それは貴様の方が先だろう。あの手を見てみろ! 痛々しいほどに手形が残っているんだぞ!」
「だから彼女には謝罪を入れました。悪気があってしたのではありません」

 香川の図々しい態度に幸司は腸が煮えくり返りそうな程、怒りが込み上げてくる。しかし、一応相手は謝罪をし美幸も何も言わないままだ。
 なのにここで事を荒立てる訳にもいかず、幸司は殴りたい手を引っ込めては拳を握り、香川を横目でギロリと睨み付け美幸の方へと駆け寄る。

「大丈夫か?」

 幸司の優しい声に美幸はさっきまでの不安が嘘のように嬉しくなる。自分でもバカだと思いながらも、幸司の優しい言葉一つに喜びを感じてしまう。

「美幸、痛いのか?」

 黙ったまま何も言わない美幸にもう一度訊く。

「いえ、大丈夫です」

 名前を呼ばれただけで更に嬉しさが込み上げる美幸は、微笑みながら幸司の顔を見上げ返事をする。
 美幸の表情が痛みを訴えるものではないと分かり、ホッとした幸司は美幸の腰に手を回すとグイッと引き寄せ助手席のドアを閉める。
 バタンと重々しく締まるドアの音に香川が幸司と美幸の方へと視線を向ける。

「課長……」

 運転席側のドアの縁を掴んだ香川は何かを言いかけたが、ドアを大きく開くとそのまま運転席へと乗り込む。そして、ドアを閉めると助手席側の窓をスライドさせ下げる。

「念を押しておきますが、私は大石以外でしたら欲しい女はいません」
「お前、なにを」

 まるで自分の妻を「欲しい」と言われている様で、頭に血が上った幸司は車へと駆け寄り、助手席の開いた窓の縁を両手で掴むと身を乗りだすように中を覗きこんだ。
 慌てた様子の幸司を見た香川はフッと笑うとハンドルを掴み真っ直ぐ病院の方へと視線を移す。

「私は何度も言っていますよね? 事務補助には大石が欲しいと。私の望みはそれだけです」
「彼女は私の下で仕事をさせる」
「でしたら他の社員は必要ありません。それだけ言っておきます」

 エンジンを掛けると助手席の窓を上げる。そして幸司の顔を見て軽く会釈をすると車を走らせた。

 香川の車が駐車場から出て行くのを確認した幸司は、振り向きざまに美幸に冷たい瞳を向ける。

「何故、香川なんだ?」
「え?」

 幸司が何を聞きたいのか意味が分からない美幸は不思議そうな顔をする。しかし、そんな惚けた表情をする美幸に幸司は腹を立てる。

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