好きにならなければ良かったのに
書庫の扉から中の様子を窺うも、そこには人影はなく誰もいない様子。しかし、何やら奥の方から人の会話する様な声が聞こえてくる。美幸は忍び足で声の方へと近づくと、書庫の棚の奥まったところに誰かがいるのを見つけた。
こっそりと近づいたものの、あまり傍へ寄ると気付かれてしまうからと、少し離れた所で足を止める。
「ああ、愛してる」
誰かが社内で隠れて告白をしているのだと、美幸は飛んでもない場面へとやって来たのだと慌ててそこから出て行こうとする。
「私だって幸司を愛してるわ」
さっきの男性の声の後に、今度は女性の声での告白だが、何故そこで「幸司」と言う名前が出てくるのか美幸は出て行こうとした足が止まる。それに、その女性の声には聞き覚えがある。昨日、一日中ずっと一緒に仕事の説明を聞かされた相手だ。
「俺だって晴海のことはずっと大事に思って来た」
今度はハッキリとこの男性の声の主が分かった。昨夜、美幸を眠らせなかった、美幸の愛しい男だ。それも、夕べは美幸を愛するからと誓ったその唇で、今は他の女に愛の告白をしている様子に美幸のショックは大きかった。
雷に打たれたようなそんなショックが美幸を襲う。そして体がガクガク震え乍らも、何とか書庫の中の二人には気付かれないようにそこから逃げだす。
書庫から抜け出た美幸は何も考えられなく不安に押しつぶされそうになる。
「奥様?」
「青葉さん……」
偶然通りかかった青葉が、書庫から出て来た美幸の様子がいつもと違うと気付いて声を掛ける。
「顔色がお悪いですよ。まさか、部長に何かあったのですか?」
「いいえ」
美幸は首を横に振ると今にも泣きそうな顔をを両手で隠してしまう。そんな美幸の様子が尋常ではないと気付くと、青葉は美幸に医務室へ行くように誘う。しかし、もう直ぐ始業時間になる。そんな時に幸司と晴海の告白を聞いたショックで寝込む訳にはいかないと、医務室へ連れて行こうとする青葉の手を振り払う。
「ですが……、本当に顔色が良くありませんよ」
「もう、私の事は放っておいて!」
美幸の怒鳴り声に青葉は驚いて差し出そうとした手を引っ込める。「奥様」と声を掛ける青葉に「私なら大丈夫よ」とだけ言って美幸は一課へと向かう。
美幸のその悲しそうな声に幸司との間で何かが起きたのだと青葉が感じ取る。