好きにならなければ良かったのに

「申し訳ありません、こんな時間に呼び立ててしまいまして」
「いや、いい」

 電話を受けた幸司の声がやけに苛ついた様に聞こえたのも青葉には納得の様だった。濡れたままの髪の毛を見て、不味いときに電話をかけてしまったと苦笑する。

「奥様はよろしかったのですか?」
「大丈夫だ」
「ご一緒だったのでしょ? なのに抜け出てきて……」
「余計な詮索するな。まだ、風呂に入っただけで何もしていない」

 不貞腐れた顔をする幸司を見てクスクス笑う青葉に、余計に幸司は苛ついて青葉を睨む。

「そんなことより、どうなんだ。義父の具合は」
「あの後、直ぐに部長から相談を受けたので私が入院を勧めました。でも、なかなか治療に専念して貰えない様なので。担当医にあなたの名前を持ち出してお願いしましてね」

 何か含みのある言い方に幸司は眉間にシワを寄せる。すると、青葉はニッコリ微笑んで言うのが。

「ちょっと大袈裟に話してもらっただけですよ、部長が入院したくなるように」
「……脅したのか?」
「いえ、お願いしただけです」

 相変わらずえげつない男だと溜め息が出る幸司だが、青葉の計らいで最悪な事態を避けられそうだと、先ずはホッと胸を撫で下ろせそうだった。

「緊急と言うから心臓が止まるかと思ったが、それならば、少しは安心した」
「安心はまだ出来ませんよ」

 ホッとする幸司の胸を掻き乱すような言葉に苛つき、幸司は病院のエントランスの方へと歩き出す。

「夜間の出入り口はそちらではありませんよ」
「じゃあ、どこだ?」
「案内します。ただ、約束してください」

 さっきまでの口調とは打って変わって重々しくなる青葉に、幸司の足が止まり振り返る。
 神妙な顔をする青葉に、多少幸司の表情も固くなる。

「部長は、課長が奥様を裏切り愛人を囲っていると社内の噂に悩まれています」
「……」
「部長には奥様とは最後まで恋愛結婚をしたと思わせてください」
「バカバカしい、何を言うかと思えば」

 まさか青葉にまでも責められるとは思わなく動揺を隠せない幸司は、慌てて歩き始める。

「部長から生きる希望を奪わないで下さい」

 まるで美幸の父親を騙しては裏切り、自分の行いが最悪なものに聞こえると、無性に腹立たしくなる幸司は声を荒げる。

 
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