【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
「結局キュリオが言ってた出生不明のガキの話は片が付いたってことか」

(じゃあ俺に気づいたあのガキは……やっぱりキュリオの子供なのか……?)

 キュリオとエデンの死角に入り、大きな木の上でふたりの話を聞いていたのはヴァンパイアの王・ティーダだった。
 気配を消しながら様子を伺っていた彼は、今朝の騒ぎまでは知らない。ただ、気になるあの赤ん坊に会いに来ただけなのだが、運悪く外に出て来ていないようだ。そしてその代わり、先ほどから城の中で赤子の声が響いている。

(……ガキは城の中だな)

 口うるさい二人の王はやがてキュリオの恋わずらいの話となり、<紅蓮の王>はつまらなそうに足を投げ出して大きな幹に寄りかかった。

「女の話なんざ興味ねぇな」

 ヴァンパイアが苦手とする日の光さえも<紅蓮の王>の彼ならばどうってことはなく、黒い瞳の彼は面白みに欠け、ゆっくりと流れるこの時間にため息をつき頭上を見上げた。
真上には新緑さながらの柔らかい色を保った葉たちはそよぐ風にその身を揺らし、隙間からは木漏れ日が差し込んでいる。

「…………」

 色彩にあふれた悠久だが、この国で極悪のイメージが付きまとう紅の瞳は一際目立つ。彼は面倒なことを避けるためにこうして散策している間は意図的に黒い瞳へ変化させており、犬猿の仲である二人の王が手を取り合う日などこないことは、もはやこの世界では常識となっている。
仕方なく昼寝でもしようと瞳を閉じたティーダだったが――

『おおっ! お嬢様!! この<料理長>ジルのことは、じぃじと呼んでくださって構いませんぞっ!!』

『……?』

 きょとんとした瞳を向けて首を傾げているアオイ。
 聞きなれない言葉を耳にし、反応に困っている様子だった。

『まぁっ! ジル様ったらすっかりおじい様気分ですのね?』

 ふふっと笑う上品な女の声も聞こえ、つられるように赤子の顔にも笑みが広がる。

『きゃはっ』

 あたたかい雰囲気を肌で感じ、楽しそうな幼い声が心地よく響いた。

『はっ! あのメレンゲの焼き菓子なら……お嬢様も……』

「…………」

(うるせー声だな……あの独り言がいちいちでかいのがジルってやつか)

 バタバタと足音が遠ざかるのを確認し、ふん……と移動しながら城の中を覗こうとする<紅蓮の王>。
 どうやら一行は二階部分にあたる広間にいるらしい。窓の近くまで行くと、女が大事そうに何かを抱きしめているのが見える。

 その抱きしめている何かが、時折笑い声とともに手足を動かしているのが見え、それがおそらく自分が探していた子供だろうことがわかった。

「……?」

 話を聞くのに夢中になっていたアオイだったがピタリと動きを止め、あたりをきょろきょろと見回しはじめる。

「お嬢様? いかがなさいました?」

 やがて振り返ったアオイはまたも<紅蓮の王>の姿を視界に捉え、瞬きすることなくこちらを凝視している。

「……っ!」

 まさかこの角度から赤子が気づくとは思わず、ティーダは引き寄せられるように身を乗り出した。

「外が気になるのですか? 鳥でもいるのかしら……」

 不思議に思った女官が彼女を抱いたまま窓の外を覗き込む。程なくして赤子が気になっている原因を見つけ、眉をひそめる。

「まぁ……あれは鴉(クロウ)? 瞳が赤いなんて珍しい……」

 もちろんそれはティーダが姿を変えて鳥になったものだ。しかし鴉になってもアオイは彼から目を逸らさず、黒光りする艶やかなその身と血に染まったような紅の瞳を目に焼き付けるようにいつまでも見ている。

「…………」

(近くに行ってみるか……)

 妙な好奇心に駆りたてられ、ティーダは鴉の姿のまま窓の傍の枝へと降りる。

「人懐っこい鴉ですわね……」

 目の前に移動してきた鴉にアオイを突かれてはなるまいと、女官は傍のソファへと彼女をおろしてから窓辺に立つ。そして開いている窓から女官が顔を出すと――

『チッ、お前に会いに来たんじゃねぇぞ!』

「ガァアアッ!!」



 鴉が噛みつくように大声で威嚇した。

「きゃあ!」

「……っ!?」

 さらにバサバサと大きな翼を広げ、女官を威嚇し続ける鴉に背後で小さな体を震わせたアオイは恐怖のあまり目元に涙を滲ませる。

『ふぇっ……うぅっ……』

 その怯えた小さな声は、離れた庭園にいるキュリオの鼓動を激しく鳴らす。

(この声は……アオイ? 泣いているのか?)

(まさか、また……)

 嫌な汗が流れ、どんどん彼の背を冷やしていく。

「エデン、すまない。すぐ戻る」

「ん? あぁ」

 タッと駆けだしたキュリオの銀髪がキラキラと風を通す。
 彼の真剣な眼差しを見て首を傾げるエデン。それもそのはず、アオイの小さなぐずり声はキュリオにしか聞こえていなかったからだ。

 もはや親馬鹿を通り越し、五感すべてがアオイに向けられているといっても過言ではなく、しかもそれは彼女にのみ発動するキュリオの特殊能力となりつつあった。

「アオイ……ッ!」

 一気に二階の広間まで駆け上がったキュリオは息を切らせながら巨大な扉を押しのけて入ってきた。

「キュリオ様?」

 数人の女官や家臣、侍女たちが何事かと勢いよく入ってきた主の姿に目を丸くしている。

「お嬢様ならここにおりますよ」

 女官に抱かれ、わずかに目を赤く染めた赤子はキュリオと目が合うと花がほころぶような笑顔を見せた。すでに窓は閉められ、不思議な鴉の姿はそこにはない。

「きゃぁっ」

「アオイ……」

 束の間の再会に喜びの声をあげた彼女を女官から受け取ると、キュリオは安堵したようにその髪に鼻先を埋めると、優しく甘い彼女のぬくもりに激しく荒れた心の臓が徐々に落ち着きを取り戻していく。

「……キュリオ様……」

 昨夜の騒ぎを知っている彼女らは、キュリオのそんな様子を見て涙がでそうになる。……本当は片時も離れていたくはないのだろう、と。
 しばらく赤子を抱きしめていたキュリオは客人を待たせている事を思い出し、名残惜しそうにもう一度女官へとアオイを預ける。

「取り乱してすまなかった。私が戻るまで彼女を頼む」

「……かしこまりました」

 別れ際に赤子の目元を指先でくすぐると、笑顔を見せながら目を細めるアオイ。

「またあとで」

 離れがたい気持ちを押し殺しながら言葉を残し、再び出て行ったキュリオの背中を見送る女官たち。

「……キュリオ様変わられましたね」

「ええ、本当に……」

 彼女が来る以前、これほど心配性のキュリオではなかった。彼は特別な人物をつくることはなく、誰にも何事にもすべてが平等だったのだ。
 そしてこれが彼にどのような影響を及ぼすのかわからない。

(もしこの子が大きくなって余所へ嫁ぐことになったら……キュリオ様はどうにかなってしまうのでは……)と、そこにいた誰もが思っていた。

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